16.休戦協定(降伏文書)の調印 1945年(昭和20年)9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号の前方甲板上において、日本と連合国との間で休戦協定 (降伏文書)の調 印が行われた。重光葵(外務大臣)、梅津美治郎(参謀総長)、ダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司 令官)ほか9人が書名している。 |
下名ハ(注:=下に署名した者は)茲ニ(注:=ここに)、合衆国(注:アメリカ)、中華民国及「グレート、ブリテン」国(注:イギリ ス)ノ政府ノ首班ガ1945年7月26日「ポツダム」ニ於テ発シ後ニ「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦(注:ソ連) ガ参加シタル宣言ノ条項ヲ、 日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス。右4国ハ以下之ヲ聯合国ト称ス 下名ハ茲ニ日本帝国大本営竝ニ(注:=並びに)何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ聯合国 ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス 下名ハ茲ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国臣民ニ対シ敵対行為ヲ直ニ終止スルコト、一切ノ船舶、航空機竝ニ軍用及 非軍用財産ヲ保存シ之ガ毀損(注:=棄損)ヲ防止スルコト及聯合国最高司令官又ハ其ノ指示ニ基キ日本国政府ノ諸機関ノ課スベキ一切ノ要 求ニ応ズルコトヲ命ズ 下名ハ茲ニ日本帝国大本営ガ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ指揮官ニ対シ自身及其ノ支 配下ニ在ル一切ノ軍隊ガ無条件ニ降伏スベキ旨ノ命令ヲ直ニ発スルコトヲ命ズ 下名ハ茲ニ一切ノ官庁、陸軍及海軍ノ職員ニ対シ聯合国最高司令官ガ本降伏実施ノ為適当ナリト認メテ自ラ発シ又ハ其ノ委任ニ基キ発セシ ムル一切ノ布告、命令及指示ヲ遵守シ且之ヲ施行スベキコトヲ命ジ竝ニ右職員ガ聯合国最高司令官ニ依リ又ハ其ノ委任ニ基キ特ニ任務ヲ解カ レザル限リ各自ノ地位ニ留リ且引続キ各自ノ非戦闘的任務ヲ行フコトヲ命ズ 下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト竝ニ右宣言ヲ実施スル為聯合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ聯合国代表者ガ要求 スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル(注:=かかる)一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス 下名ハ茲ニ日本帝国政府及日本帝国大本営ニ対シ現ニ日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ聯合国俘虜(注:=捕虜)及被抑留者ヲ直ニ解放スルコ ト竝ニ其ノ保護、手当、給養(注:物を与えて養うこと。)及指示セラレタル場所ヘノ即時輸送ノ為ノ措置ヲ執ルコトヲ命ズ 天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ、本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス 1945年9月2日午前9時4分日本国東京湾上ニ於テ署名ス 大日本帝国天皇陛下及日本国政府ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 重光葵 日本帝国大本営ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 梅津美治郎 1945年9月2日午前9時8分東京湾上ニ於テ合衆国(注:アメリカ)、中華民国、聯合王国(注:イギリス)及「ソヴィエト」社会主義共和国聯 邦(注:ソ連)ノ為ニ竝ニ日本国ト戦争状態ニ在ル他ノ聯合諸国家ノ利益ノ為ニ受諾ス 聯合国最高司令官 ダグラス、マックアーサー 合衆国(注:アメリカ)代表者 シー、ダブリュー、ニミッツ 中華民国代表者 徐永昌 聯合王国(注:イギリス)代表者 ブルース、フレーザー 「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦(注:ソ連)代表者 クズマ、エヌ、ヂェレヴィヤンコ 「オーストラリア」聯邦代表者 ティー、ユー、ブレーミー 「カナダ」代表者 エル、コスグレーブ 「フランス」国代表者 ジャック、ルクレルク 「オランダ」国代表者 シェルフ、ヘルフリッヒ 「ニュージーランド」代表者 エス、エム、イシット |
17. 無条件降伏なのか? 「ポツダム宣言」は日本国軍隊の無条件降伏であって、日本国の無条件降伏ではない。ポツダム宣言が要求しているのは、「 日本国政府が 日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、日本政府がそれを保障すること」である。日本はポツダム宣言の諸条件のもと に降伏したのであって、日本の「主権」まで占領軍に差し出したわけではない。 しかし、降伏文書には、バーンズが8月12日 に回答したのと同じく「国家統治の権限は 、連合国最高司令官に"subject to"する(連合国最高司令官の制限の下に置かるるも のとす)があり、日本が「無条件降伏」したかのような 誤った考えを日本国民に信じ込ませた。日本は一切の反論を許されず、 あたかも「無条件降伏」したかのごとく占領統治に徹底的に服従させ られたのである。 「ポツダム宣言受諾は無条件降伏?(平成25年11月28日産経) 衆院文科委員会で論争 教科書記述も分かれる 先 の大戦で日本は「無条件降伏」したのか、それとも「条件付き降伏」だったのかー。衆院文部科学委員会で27日、こんな議論 があった 。下村博文文部科学相は「事実上の無条件降伏だったと思う」とし、西川京子副大臣は「大変大きな問題で、文科省だ けで発言していいとは 思えない」と答弁した。無条件降伏か否かは、現行の教科書でも記述が分かれており、今後の議論が注目 されそうだ。自民党の池田佳隆氏が 「戦後レジーム(体制)からの脱却をはかる上でも、先の大戦で日本が無条件降伏したかど うかは重要な問題だ」と主張し、文科省の見解を ただした。下村氏は、事実上の無条件降伏との認識を示しつつも、「(無条件 降伏の定義について)一概に答えるのは困難だ」とかわした。 先の大戦で日本が受諾したポツダム宣言には、「われら(連合 国)の条件は左のごとし」として、日本の主権の及ぶ範囲などの条件が示さ れていた。しかし戦後は「無条件降伏」との認識が 広まった。」 18.GHQによる主な占領政策 連合国総司令部(GHQ)の指揮の下に日本政府が置かれるかたちで占領統治が行われた。GHQは実質的にはアメリカが単独で運営し、 主に次のような施策が実施された。 (1) 陸海軍の解体 (2) 言論、思想および宗教の自由 ~実際には検閲や焚書が行われた。 (3) 報道の自由 ~実際には報道統制が行われた。 (4) 教育改革 (5) 財閥解体 (6) 農地改革(大地主の解体) (7) 公職追放~GHQの意向に沿わない者も含まれている。 (8) 戦争犯罪者の処罰〔東京裁判のほか、南京(中華民国による)・マニラ・ニュー デリー・ハバロフスク・瀋陽(1956年、 中華人民 共和国による)その他でも軍事裁判が行われた〕 (9) 新憲法の策定 (10)公務員のスト禁止 (11)ドッジ・ラインによる緊縮財政 (12)単一為替レート(1ドル=360円)の設定 (13)シャウプ勧告による税制改革 |
参考文献・資料 「昭和天皇論」 小林よしのり 幻冬舎 「一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾」 角田房子 PHP文庫 「真の日本の友 グルー」 廣部 泉 ミネルヴァ書房 「日本のいちばん長い日」 DVD 「Wikipedia ポツダム宣言」 |