松原久子があるディスカッションに参加した時、15世紀初頭、明の永楽帝時代の武将・鄭和が率いた大航海のことに議論が集中したという。7回にわたる大航海で鄭和が立ち寄ったのは、ペルシャ湾、アラビア半島、紅海、ソマリア、ケニア、タンザニア、モザンビークといったインド洋を取り囲む広範な地域であった。ところが支那人は、莫大な費用をかけて行ったにもかかわらず、植民地化などせず、ほとんど証拠も残さず自国へ帰ってしまったのはなぜかという問題である。ヨーロッパ人の感覚から見れば大いに理解に苦しむというわけだ。 |
鄭和の大航海経路(ウィキペディアより) |
1864年頃、支那において漢語に堪能なアメリカ人宣教師によって重要な本の漢語版が出版された。アメリカの法律家が著した『万国公法』である。欧米諸国間の通商・経済関係を法律面から簡潔に解説した著作である。それは直に日本へ伝えられた。漢文教養の高い当時の日本人にそれを理解することは難しいことではなかっただろう。つづいて漢語を日本語に重訳した『万国公法訳義』や『和訳万国公法』が刊行された。また原著から直接訳した『交道起源・一名万国公法全書』も出た。勝海舟、松平春嶽、坂本竜馬ら幕末の識者は争ってこれを読み、は争ってこれを読み、その影響は俊敏かつ巨大であった。 | 欧米の論理(ウィキペディアより) |