1.ポツダム宣言受諾までの略式年表
1943(昭和18)年
12/1 カイロ宣言(日本の無条件降伏に言及)
1945(昭和20)年
2月 ヤルタ会談(米・英・ソ)
5/28 米、「皇室存続」を含めた対日降伏条件を起草
7/16 米、原爆実験成功
7/17 ポツダム会談始まる(米・英・ソ)
7/25 原爆投下命令下る
7/26 ポツダム宣言公表 (「皇室存続」の降伏条件は削除)
8/ 6 原爆投下(広島)
8/ 8 ソ連参戦
8/ 9 2つめの原爆投下(長崎)
8/14 日本政府、ポツダム宣言を受諾
2.7月26日 午前6時ポツダム宣言(米英支3国。ソ連は含まれず)傍受
ポツダム宣言(口語訳)
第1条 |
アメリカ、イギリス、支那は協議して戦争を終える機会を日本に与えることで合意した。 |
第2条 |
アメリカ、イギリス、支那の3国は日本に最後的打撃を加える体制を整えた。 |
第3条 |
我々の軍事力は日本の本土を壊滅することができるレベルになっている。 |
第4条 |
日本は決定すべき時期が来た。 |
第5条 |
我々の条件は以下のとおりで、それ以外の条件はない。遅延は認めない。 |
第6条 |
軍国主義、世界征服をしようとした者は永久に除去する。 |
第7条 |
日本の戦争遂行能力がなくなるまで日本の諸地点を占領する。 |
第8条 |
「カイロ宣言」は履行され、日本国の主権は本州、北海道、九州、四国、そして我々が決定する島に限定される。 |
第9条 |
日本軍は武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的な生活を営む機会を与えられる。 |
第10条 |
我々は日本人を奴隷にしたり滅亡させようとする意図はないが、我々の国の捕虜を虐待したものを含む戦争犯罪人に対しては厳重に処罰する。日本国政府は民主主義を推進しなければならない。言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重を確立しなければならない。 |
第11条 |
日本は、経済、産業を維持することを許されるが、再軍備の産業は除く。原料の入手は許可され、将来、世界貿易への参加も許される。 |
第12条 |
前期の目的が達成され、日本国民が平和的傾向を有し、責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍は直ちに日本より撤収する。 |
第13条 |
我々は日本政府が直ちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、日本政府がそれを保障することを要求する。そうでなければ日本はすぐに壊滅されるだけである。 |
3.8月9日 午前10:30「最高戦争指導会議」開催
総理:鈴木貫太郎 外務:東郷茂徳 陸軍:阿南惟幾 海軍:米内光政
参謀総長(陸軍最高指揮官):梅津美治郎
軍令部総長(海軍最高指揮官):豊田副武
4.8月9日 午後2:30 閣議開始
5.8月9日 午後11:50「最高戦争指導会議」(御前会議)開催
6.8月10日 午前3:00閣議再開
7.8月10日 午前9時30分
8.8月12日午後0:45 アメリカからの回答届く
(1)降伏の時より天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のためその必要と認むる措置をとる連合軍最高司令官の制限の下に置かる(=subject to)ものとす。
(2)最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意志により決定せらるべきものとす。
9.8月12日 午後3:00 閣議開催
東郷外相は「回答は満足なものではないが、戦争続行が不可能である以上、ここで交渉をまとめるべきだ」と主張した。これに対して阿南は「回答の真意を再照会すべきだ」と主張、さらに強硬に受諾反対を唱え続け、クーデターを計画する将校たちも阿南を頼りにした。
10.8月13日 閣議開催
11.8月14日 午前10:50 最高戦争指導会議(含む全閣僚) (御前会議)
12.8月14日 午後閣議開催
13.8月15日 午前4時40分
阿南惟幾 割腹自殺 介錯を断り、午前7時10分絶命。
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」昭和20年8月14日夜 陸軍大臣 阿南惟幾
神州不滅ヲ確信シツツ「大君の深き恵に浴みし身は 言いのこすへき片言もなし」