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 次代を担う大切な子ども達のために

活 動 報 告report

 米国に使して~日米交渉の回顧~ その3 野村吉三郎 著  平成28年8月28日 作成 五月女 菊夫


ルーズベルト大統領との第3次会見

前後の事情

 余とハル長官との間の日米了解案は、6月21日(昭和16年)の米国案において従来両国の主張を盛ったものができておった。その後ハル長官は病気静養のために、グリーン・ブライアー・ホテルに転地し、その間に日本の仏印南部進駐があって、このことは米国政府としては、余とハル長官との間の会談を一貫している精神と両立し難いものとし、しかもこれは日本が今まで縷々声明しておった平和的意図とは違って、力もしくは力の脅迫を用いて仏印を圧迫し、ここに根拠地を得て漸次南方を望み、シンガポール、蘭印にも進むものとして物情騒然たるものがあったのである。

 余は形勢の急迫を痛感したので、7月23日作戦部長スターク大将と2人きりで昼食をした際に大統領との会見取次ぎを依頼したところ、同大将の快諾を得てその仲介により7月24日午後5時内密に会見した。その席にはスターク大将とウェルズ国務長官代理が連なった。

会見の内容

 余は屡次にわたる外務大臣訓令の趣旨を体して、仏印進駐は我が国として経済自活上及び同地域の安定上真に已むを得ざる次第であり、また仏印の領土保全、主権尊重ということも縷々述べた上、さらに両国間の懸案である太平洋の平和維持を目的とする日米了解案中の3難点、すなわち自衛権の問題、支那の内蒙・北支における駐兵問題、通商無差別問題を指摘して「駐兵も永久的に非ざるべく、これらは自ら解決の途があると思う。また米国政府においては多少日本政府の誠意を疑っているということも聞き及んでいるが、現内閣は依然日本了解に熱心である。ついては大統領におかれても大乗的に政治的考慮を払われんことを希望する」と述べたところ、これに対し大統領は「従来世論は日本に対して石油を禁輸せよということを強く主張したのであるが、自分は日本に石油を与えることは太平洋平和のために必要なりと説得して今までやってきたのである。ところが日本が今日のごとく仏印に進駐しさらに南方に進まんとするごとき形勢になってきては、余は従来の論点を失いもはや太平洋を平和的に使用することができなくなってくる。そうして自分の国が太平洋地域から錫、ゴムのごとき必要品を入手することが困難になってくる。その上太平洋の他のエリアの安全も脅かされて、フィリピンも危険になってくる、これではせっかく苦心して石油の対日輸出を持続していっても何にもならない」というようなことを言って、石油の対日禁輸も追ってやるようなことをほのめかした。しかる後さらに言葉を継ぎ、「自分は今国務省と打ち合わせをした上で話をするわけではないが」と前置きし「今は既に多少時期が遅れた感があるが、もし日本が仏印から撤兵されて、各国が仏印の中立を保障してあたかもスイスのごとくし、その上で各国が自由に、公平に仏印の物資を入手するがごとき方法ありとすれば自分は尽力を惜しまない。また日本の物資入手には自分も極めて同情を持っている」と言い、なおその話の間に「ヒトラーは世界征服を企て、欧州の次にはアフリカ、さらにまたその次と停止するところがないであろう。今後10年も経った後には貴国も米国と同じ側に立ってドイツと戦わなければならぬということもあり得よう」と話したので、余からこの後段に対しては「日本は決してやむを得ない場合でなければ武を用いるものではない。日本の武を用いる理由は破邪顕正の剣であって、日本人には『大国といえども戦を好めば国滅ぶ』という諺すらあり。兵を用いるは真に万策尽きて已むを得ざる場合に限っている」と強く反駁しておいた。

大統領は、仏印南部進駐はドイツの圧迫に基づいてなされたものであり、そうしてなお一層南進するの恐れありという見方をしているがごとく見受けられたから、余は日本の行動は独自の行動であってドイツの圧迫というようなことは絶対にないと説明したところ、大統領はあえてこれを弁駁はしなかった。しかし大体当時の米国の世論は、日本はドイツと協調して、あるいは単独に時期を見て南進もし、また事によれば北進するかも知れないというように傾いておった。

備考

1.大統領の提案には仏印中立の他にタイ国をも入れたい旨の話がその後ウェルズ国務長官代理からあった。

2.7月24日に国務省の日本の仏印南部進駐に対するステートメントがあり、25日夜に日本に対する凍結の命令発表、8月1日には日本に対する石油の禁輸が発令された。

状況報告

7月28日の米国情報として発電中以下の意味の事項がある。

1.大統領の今度の処置に関しては世論は一般に日本に対し必要以上の辛抱をなしたる上なれば已むを得ざるものとなしこれを歓迎す。ただしこのまま進行するに任せ別に政治的手段を尽くさざるときは戦争避けがたしとする者少なからず。

2.プラット大将のごときはこの際何とかして両国の衝突を避けるため、油の禁輸まで行かざるを望み、日本も節度ある態度をとるを望みおりたり。

なお、同大将は戦争は長期戦の後英米の勝利となるを確信し、ドイツ潜水艦の損失も多くパトロールは漸次有力となるを以て、大西洋の戦争は今年の危機を脱せば明年は造船及び飛行機製作の急激なる進歩と相まって大いに戦勢を回復し得るものと楽観視し、英国民のモラールははるかにドイツのそれを凌駕すと言いてこれを嘆美せり。当国においてはこの様の観測多し。

3.日独同盟ますます強固に見え同盟の条約文以上に何らかの関係あるべしとの推測が米国一般の最も難関視するところなり。伊国はもはや戦力なく疲弊の極みにありと認め、随って第1の敵ドイツの次は日本となし、日本は東亜においてドイツの欧州においてやることをそのまま実行するものとなす。これ我が国に対し風当り強き所以なり。

4.ソ軍がやがて破らるると見る者と、支那事変のごとくなり長期抗戦すると見る者の両者あり。いずれにしても予想以上抵抗力あり。今年は英本国の進攻なしと見る者多きが如し。

ソ軍事使節の来米あり。

5.新艦工事は予定より早く進行し、駆逐艦のごときは予定の半分にて竣工すと権威ある方面より聞きたり。

6.今後長期戦の準備をなし国力動員をなしつつあるが、戦後はその結果ひどいことになるとは識者の一致せる観測なり。

7.我はただ独伊の全勝のみを当てにするなく独自の立場より行動を決するとともに信を列国に失うがごときことなきを望む次第なり。

ウェルズ国務長官代理との会談

 7月28日午後5時、国務長官代理を訪問。龍田丸桑港港外に止まり入港せず。よって資金凍結令と出入港の関係につき会談した。なお、余談として余より「貴下は日米両国の平和は過去90年来連綿として続き一度も破れたことはないと言われたが、今両国が執りつつある政策に対して何とか和協の道を発見しなければ、まことに危険の方向に向かいつつある感じに堪えない。これを避けるに足る政治的手段なしとせばこれ人類に対する大罪である」と言ったところ、彼は過日大統領の提議せしことは真に重大なる点である旨語ったから、余は今日はさらにあの点を詳細に報告しておいたと挨拶した。長官代理の話は概ね24日の大統領の話を裏書きしたものであった。

状況報告

 7月29日の報告中に下の要旨の一節あり。

 さて今日の形勢は東亜においてはわが独力にて、米、英、蘭印、支那、ソ連を相手に最悪の方向に向かいつつあり。ドイツのために米国を牽制する間にドイツは米国に対し細心慎重を極め講和条件などの噂を立て人心緩和を図り極力米独戦争を避けんとするがごとし。我は不知不識の間に単独にて対英米戦にまで邁進するの危険を敢えてしつつあるやの感あり。何卒この際あくまで慎重を旨としたとえ軍事上は急速決断を要するものありとするも、政治的にはよく大勢を達観し国家永遠の大計のためにご善処を切望する次第なり。

 7月30日午前11時45分、ウェルズ国務長官代理の求めにより往訪した。長官代理は在重慶米国砲艦ツツイラ号爆撃に関し書き物を手交して大統領の命によるとて、パネー号事件のとき日本政府の保障があること、日本軍部はかかる爆撃の権能あるものなりや、ツツイラ号及び米大使館は対岸の安全地帯にありと強調した。よって余は長官代理があまり真面目になりおるのでむしろこれを軽く取扱い「かかる出来事は戦塵の巷においてはありがちである。我が方において重慶爆撃をやめるか、貴方にて大使館、砲艦を移すに非ざる以上かかる過失を絶無ならしめ難し」と答え、とにかく政府への報告を約した。

 7月31日午後6時45分、ウェルズ国務長官代理を往訪。ツツイラ号事件に対する帝国政府の見解並びにその釈明をなし、その際、これで解決できねば余は直接大統領に面会し得るようその仲介を頼んで辞去した。

 ウェルズ国務長官代理は大統領と打ち合わせた上、新聞記者に対し事件解決の旨発表した。

 この日過日大統領の言われた仏印中立の提案中にタイ国をも入れたき旨の話が長官代理からあった。

 この日午後、岩畔大佐、井川忠雄の両氏は飛行機にてサンフランシスコに向かい帰朝の途に就いた。両氏の努力は深く感謝するところである。

 8月2日、午後1時45分、ウェルズ国務長官代理を往訪し、龍田丸の出港について尽力を頼みたるところ過日余に対する口約を重んじその後の成り行きに対し気の毒がり、何とか善処する旨申し「明日曜も出勤しているから用あるときは電話されたし」と申した。その際東京が日米了解を欲することますます明らかであるが、大統領の提案に対してはまだ返事に接しない旨説明しておいた。

 

 なお、同日午前10時、某閣僚を往訪。近況を尋ね、仏印進駐の意義を説明したうえ、この際海峡植民地及び蘭印などと不可侵を約し、従来の話し合いを進め、物資の交流を自由ならしむることは一案でないかと申したが、あまり興味をひかなかった。氏はまた大統領の戦争を欲せざることはご承知の通りと言ったが、米国がまさかの場合武力衝突に対し万般用意をなすは当然である。ドイツの対ソ戦が長引くことは米国の好材料にして、当分対英大活動をなし難かるべく、その間に米国の生産は長足の進歩をなしますます有利となると認めており、数年の長期戦は覚悟しておった。

協力者の派遣要請

 8月4日、外務より先輩の派遣を請う発電をなした。その要旨は以下のごときものであった。

 昨日曜の新聞は皆大々的に日米関係を論評し概して政府の強硬態度を支持し、ギャラップの投票もまた強硬論多数なるがなお門戸は全部閉鎖し非ざる意向を洩らせり。現在日米関係は米独問題よりも世論の焦点となるに至れり。若杉、岩畔は帰朝の上報告をなすも何分形勢は刻々進展し時間は大なる要素となる。余としてはこの際違算あってはまことに申し訳なくかつ微力にも限りあることなるを以て、取りあえず最近便あり次第、たとえば来栖大使のごとき外務の先輩を一時出張せしめられ余に協力せしめられたし。何分政府ご方針の機微に触れたるところ知るに由なく、余として手の出しようなき次第なり。云々。

オラフリン来訪

 8月5日、オラフリン来訪。氏はテオドル・ルーズベルト大統領のときの国務次官。当時は陸海軍雑誌主幹、日本に知人が多い。次のごとき要旨の談話をした。

 現在の米国政策は国民の支持するところにして、変更することなし。殊にミドル・ウェストは孤立論者多く参戦反対なるも対日政策については上院議員ウィラーすら支持する有様なりと言うて、日米関係を深く心配し、日本に深く厚意を有する者はキャッスル・プラットおよび自分くらいにして、プラットの論文などは日本において読まれたしと申し、日本の地位がますます難境にある点を縷述したり。なお、ソ連があれだけの戦備をなしありしことは、世界の何人も知らざりしところにして、このころはピンサー作戦に対しても巧みに対抗戦を案出し、着々成功しつつあり。ドイツの作戦は予定より遅れかつ近頃ドイツ参謀本部の発表は従前のごとく正確ならず。これ畢竟対ソ戦に対し、軍、党、国民の間に感情的に一致を欠き、近頃の発表は党宣伝部の発表なるがゆえに正確を欠くに至りしなり。もしそれソ連がよく持ちこたえ、冬期に向かうならば、欧州の戦局は一大変化を来すべし。あらゆる徴候は前大戦の1917年のそれに髣髴たりと。

上記は当国新聞の一般論調を反映したるものと認め参考のため報告した。

ハル国務長官との会談

8月6日午後6時、ハル国務長官帰華後初めて長官を私邸に往訪した。

仏印進駐に関連して政府訓令の趣旨を体し、詳細説明した上、仏印及び比島などに関する日本政府案を手交した。長官はこの提案は後刻検討するとてさしたる興味を示さず「提案を離れて自分の所感を申しあぐれば」と断り、縷々日米関係に関することを述べたが、要するに「余と貴大使との関係は別とし、その後日本の次々の行動を見るに及んで深く失望せざるを得ない。日本が武力による征服を止めざる以上話し合いの余地がない。日本当局が米国の為すところを以て包囲政策なりと言う限り日本に期待をかける何物もない。吾人が平和に生活をなさんとするにあたり、ヒトラーは自衛と称してその進路に対し邪魔になる者は悉くこれを叩き潰すがごときやり方をなす」と言って暗に日本を諷した。もはや帝国の意図を彼らに納得せしむることは困難なるように感じた。また米国政府はいかなる事態にも対処の腹を決めているようにも感ぜしめられた。

状況報告

翌8月7日、次の要旨の電報を外相宛に発した。

日米関係につき意見具申

 「日米関係は極端に行き詰まりしが、これ概ね予期せられしところにして、我が政府が大局上採らるる政策の結果として已むを得ざる次第と認むる。貴大臣は最近のご就任なるゆえ重複を厭わず当国近状報告す。

1.元来米政府は、枢軸同盟は文面以上に緊密なる関係にあり。東西呼応、西に在りては独伊、東にありては日本が四境を征服せんとするものと認め、この政策を採る国とは到底話し合いをなすを得ずとの態度に在りたり。

右に対し枢軸同盟は昔の日英同盟のごとく制限同盟なるを説き、彼らも納得し漸く非公式会談を開始せり。然るところ国務長官静養中、仏印南部の進駐あり。彼らはこれを以て日本の南進が平和的なりという点と相容れざるものとなし。会談を中止し、我が国に対しては最初の考えに復帰するに至れり。ウェルズ長官代理の声明及びハル長官の上記に対する裏書きはこれを実証し、昨夜長官は余に対し痛く失望を漏らし、また確実なる筋より聞くにハル長官は国交調節に熱心なりしだけに痛く失望し、閣内においても苦しき立場にあるがごとし。

2.米国の対日政策は要するに非友好的にあらざるも、日本の政策により対抗策を採らざるを得ずと申しおり、その通り実行しつつあり。すなわち仏印南部進駐に対しては凍結令及び禁輸令を以て当たり、またタイ国に対してはハル、イーデン相次いでの警告もあり。種々の手を打ち我が方の進行次第によりては何らか強硬手段に出づるに相違なく、ついに事態収拾の途なきに至るところあり。またわが北進する場合にも米ソ関係の接近に鑑み米国は決して傍観せざるべし。最近大統領は陸海軍首脳部を帯同してチャーチルと会見の噂あり。要するに我れの出方次第にて次々と手を打ち、決して退却することなしと認む。

3.ドイツは米国に対しあくまで慎重の態度を採り、極度に忍耐するとともに和平工作などをやり人心緩和に努力するをもって、此の頃太平洋は世論注視の焦点となり。随って欧州の形勢次第で太平洋は一層活気を呈することとなるよう痛感す。

何卒国家安危の別れるこの際あくまでも熟慮の上にてご断行のほど切望に絶えず。以上」

88日午後045分、国務長官を往訪した。長官は6日の我が方の提案に対する返答を交付したが、これは先般大統領の申せしとおりであって一歩も譲歩して居らない。なお訓令の趣旨を強く述べた上、ハワイにおける両国首脳部の会談方を提議したところ、長官は「自分がホワイト・サルファーに療養中日本政府は武力行使のことに決定したる旨の報告に接しておったが、その後それがその通り実現せられつつあり。そのことは貴大使と話し合っていたところと矛盾しておって、日本の政策に変更なき限りは話し合いの根拠なし」と言われたので、余は同席のバレンタイン参事官について念のためさらにその意向を確かめしめたところ、同じことを繰り返して「武力を行使することと太平洋の平和を維持するという政策は両立しない。日本はしきりに包囲政策を云々せられるがそれは当たらぬ」とて不平の言葉を洩らした(包囲政策云々は長官より既に2回反駁あり。またウェルズ次官はこれはドイツの口調に似たりと申したことがあった)。よって余より「米国は国防上極めて安全なる地位にあるにかかわらず、なお種々の危険を口実に国防の充実、兵役期限の延長、増税などをやり、これをうまく国民に説明しつつあると同じく、日本は今日の危険に対し国民に警醒のためにも必要である」と述べた。

この数次の会談により余は、要するに米国政府の主張は日本において武力行使を止めるならば初めて話し合いをするというにある。その点米国政府において決して退却するとも思われないから、わが政策に変更なき限りもはや話を進むる余地なしとの印象を得たので、早速この日東京に電報するとともに、東京においても必要に応じてグルー大使をして取次ぎがしめることもご考慮相成りたいと付言しておいた。

8月9日、政府に対し次のごとき要旨の電報を出した。

 「貴殿のご主旨は大統領の帰華を待ち徹底的に努力いたすべきも、屡次の往電にて申し進ぜし通り、日本が現在の政策にて進む限り米国の政策も一貫して進めらるべく、わが仏印南部の進駐は日本の政策、方向を決定的ならしめたりと見なしおる米政府の態度――この点大統領も国務長官も同じ考えなり――に鑑み先方を動かすこと困難なるように思わる。したがって来たるべき本使と大統領の会見にも期待を懸けがたく、貴方において米国の政策を変更せしむるがごとき何らかの手段をご考究相成るに非ざれば、局面打開は困難なりと思う。」

 

 813日、某閣僚と会談。両国首脳の会談に言及し、これをやれば大局のために両国が一致し得る方法を発見し得ると申したところ、あまり乗り気に非ざるもハル長官に話してみると答えた。日本の仏印南部進駐は要するにドイツと策応して行われたもので、ヒトラーはヴィシー傀儡政府に圧迫を加えたと認めていた。なおまた米ソ関係については、この際何を措いてもヒトラーを破るためにソ連と協力するのであると言った。

 813日午後4時、余は長官の招きによって往訪したるところ、米国権益の侵害に関する書類を交付して、右は資金凍結とは関係なき個人に関するものであるとの話であったから、余は「個人に対する嫌がらせは相対的となりつつあるが、かかることは大局に影響なく面白からざる次第なるを以て相互に中止すべきものと思う」と言っておいた。

 なお、長官は重慶爆撃の再発を云々したからして、余はわが立場を説明した。さらに長官は余に対し、「週末ワシントンに居られるや」と尋ねたが、その頃米国側から何らかの申しであるやの印象を得た。

816日午後、国務長官を往訪した。それは米英両巨頭の会談に関連して、英国は米国引き込みに努力しまた極東における対日不安は主として米国を利用することによりこれに対処する。また米国は英国の戦争目標を明らかならしめてその野望を抑制せんとしたものであって、「大西洋憲章」なる共同声明はまさに米国の希望を多分に盛られ、英国としてはむしろ不利とするところであるという情報に接したので、大統領帰華に先立ち我が方から何とか米政府に対して手を打っておく必要を認めて往訪した次第である。段々の政府訓令の趣旨を体して、国交調整の必要を述べたところ、長官は従来の応酬を繰り返し、「貴使との間では平和の方法を以て解決を計るにあったが、ついに武力による支配の実行を見るに至った」と言うからして、余は「しかしながらこのままに放置してはその前途知るべきのみである。太平洋の戦争は巷間伝うるがごとき簡単なものではない。歴史上先例なき大舞台の戦争であって、米国が富み、日本が貧なるがゆえに勝敗が決するのではない。これは数年にわたる消耗戦ともなり、両国とも何ら得るところなかるべきを以て、両国の政治家はそれぞれ自国の性急な人の説に盲従すべきものではないと思う。今やこの戦争に対する第3国人の教唆も多いから油断してはならない」と申したところ、長官は共鳴の態度にて第3国の運動を肯定し、「主戦論者は貴国にもあるが当国にもある」と言った。武力による支配に関しては余は強くこれを反駁して「日本は皇室を中心とした2600年の歴史を有する国家である。彼の一代の革命家が国家国民の生存を一挙に賭ける国とは成立が違い、戦のために戦をやる国ではない。東亜共栄圏というが、これは決して征服を企てるものではなく、善隣友好、共存共栄である。貴国の善隣政策と多く異なるものではない」と申したところ長官は多少首肯するかのごとく、「米国はすべての国に対し平等の地位を認め、決して進んで武力は用いない」と言った。余は「日本国民は外部より圧力を加えられれば加えられるほど、ますます反発硬化するが、然らざる場合は日本人の常識は自ら調整の道を見出す」と言ったところ、同感の様子であった。

 両国首脳の会談に関しては「余1個の意見としては今度の8項目にわたる英米共同声明には近衛声明の諸項目と一致するものも多く、むしろ好都合と思う。国交調整も何らかの途があると思う。日本において首脳が出馬の決意あることは、是れ成算あり。成功を期するが故なりと思うが、米国政府においては依然不可能と認めらるる次第なりや」と問うたところ、長官は「これはまだ自分のところ限りで上に報告しておらないが、貴使において十分の見込みを持たれるならば、ホワイトハウスに取り次いでもよろしい」と申し、先日来と異なる返答をした。

 長官はさらに進んで「現在の状況をいかに見らるるや」と余に問うたから、「このまま放任すれば危険と感ずる」と答えた。

 なお、東京に向け、当地には我の北進に関する警報も多いから、念のため政府の意向を尋ねた。そして817日(日曜日)大統領との会見となった。

ルーズベルト大統領との第4次会見

前後の事情

 この当時の米国状況は、わが軍の仏印南部進駐以来日米交渉は中断し、ハル国務長官も甚だ悲観的となりつつあった。すでに米国政府は凍結令、石油禁輸令などを矢継ぎ早に発動したが、これはもはや両国平和関係の行き詰まりであって、両国はこの際何とか政策の転換をやらなければ結局戦争となる恐れが多分にあり。米国においてもこれをば感知する者が相当あるがごとく見えた。

 ここにおいてか日本政府においても大決心の下に両国首脳部会見を考え、その探りを入れることの方針を執った。817日午後4時半、余は先方の求めにより大統領に面会した。当日は大統領がチャーチルとの洋上会談から帰った日で、日曜日なるにもかかわらず帰華後直ちに国務長官と数時間会談し、他の何人よりも前に余を引見したことは、いかに日米関係が重大なるかを十分に物語るものであった。

会見の模様

 この日大統領は過日来の海上生活の話をし、気候は順調、霧に遭ったことも少なく、軍艦に乗ってチャーチルと会合した。特に米艦において除外例として酒を用意し、チャーチルを接待し彼も意外のことにて喜んだ、などと語り、極めて元気よく、ついで書き物を手にして、「自分も、国務長官も,貴大使も、太平洋の平和維持には恋々たるものがあるが、他には然らざる者もあり」とていかにも主戦論者が多いような口ぶりだったから、余は「なるほど第3国中には太平洋戦争を熱望する者もあろう」と答えたところ、彼は直ちにこれを肯定し、米国も、英国も、蓋しソ連も太平洋の平和を望むものであるが、ほかにこれを欲する者がある。それは太平洋に軍艦を持っておらぬ国であるとて、Our German friendというようなことを言い、また「自分も、国務長官も、貴大使も外交官出身にあらず、随って外交上の慣例に沿わないことがあるかも知れないが」とて、「今自分の申すことは外交文書でもなく、控えでもない。ただ率直に話すことを一応書いたものである」と特に念を押したる上、書き物により明晰なる発音を以て読み上げ、「かかることは申し上げたくなきも、しかしはっきりしておく方がよろしかろうと考えて敢えて申す次第である」と述べた。

 その書類の重要点は、

「日本政府は極東において、種々の地点において兵力を用い、ついにインド支那をも占領した。もしも日本政府が隣接諸国に武力を行使し、もしくは武力の強迫により武力支配の政策を今以上に続けるならば、米国政府はただちに米国及び米国民の正当なる権益を守り、かつ米国の安全及び保安を保護するに必要なるあらゆる手段を採るの已むを得ざるに至るべし。」

と言うのである。これに対し余よりたびたび政府電訓の趣旨を体して、日本政府は日米国交調整に真摯なること、大統領は近衛公と会談せらるべきや否やを承知したきこと、会談は過去数ヶ月間行われたる非公式会談の線にて行うこと、仏印問題については既に国務長官に日本政府の所見を申し入れあること、近衛公は世界平和の見地より大局的に意見交換の用意あること、米国政府より高度のステーツマンシップを期待するがゆえに、日本政府においてもこれに応ずる用意あることを信ずる旨述べ、「万事貴大統領のステーツマンシップにより決するものである」と申したところ、大統領はこれに傾聴し、さらに他の書き物を手にしつつ「ホノルルに行くことは地理的に困難である。自分は飛行機の搭乗を禁ぜられている。日本の総理がサンフランシスコあるいはシアトルあたりに来ることは困難であろうと思うが、あるいはジュノー(アラスカにあり)はどうか。ちょうどワシントンと東京の中間であると思うが、日本より何日くらいを要するや」と尋ねたので、余から「約10日間くらいなるべし」と答えた。なお、また10月中旬頃の気候はいかがかと問われたので、「その頃がよろしからん」と応酬した。

 さらに大統領は、今自分はこの書き物に多少手を入れて「大統領」が会見すると書いてあった原文中より「大統領」の文字を削除したが、これはハワイ行きの地理的に困難なるが故なる次第を説明し、他意なきを明らかにしたる上、書き物を読み上げ、なおその上自分は決して今日のごときクローズド・ドアーを歓迎するものではない。しかし日本の行動に対応してやむを得ずやっていることなれば、これを開くことは一によって日本の態度如何にあり。今度は日本の順番であると申した。

その書類の重要点は、

 「日本大使は88日国務長官との会談において両国首脳部会見の話をした。その考えに対しては感謝する。また816日日本大使が国務長官を訪問の際、両国政府間に進行中の非公式会談を再開するの希望を述べられた。これらの提案に接したるとき、国務長官は、米国政府は日本政府が平和政策を採る意図を明らかにする限りにおいてはあくまでも忍耐の態度を採り、しかしてなおその態度を継続すべきことをば答えた。なお、貴大使に対しては、米国政府は日本政府がこれと反対の方向を採りつつありという報告に接しており、また日本の新聞は日本が米国により包囲されていると称し、それが政府によって鼓吹されており、かかる事態の下にありては会談は非常に困難なる旨を明らかにし、さらに再度にわたって国務省の官吏は国務長官の訓令に従い貴大使を訪問し、日本が仏印に対し根拠地を得ようとする報道に関する憂慮を述べしめた。

 721日及び23日の両度、ウェルズ国務長官代理は日本大使及び若杉日本公使と仏印問題について話し合い、要するに日本の仏印占領は日本がさらに南太平洋地域に侵入をなす用意のごとき行動なりと認めることを指摘し、なお右は米国が必要なる原料を得ることを困難ならしめ、かつフィリッピンを含む太平洋の平和に有害なることを指摘した。ゆえに米国政府はもはや平和的交渉の余地なしと貴大使に通告するのほか途なきに至った。要するに非公式会談は太平洋地域の平和的妥結に関し、交渉の根拠があるや否やを確かむるにある。もちろん右は米政府が多年根本原則としているものと一致する場合においてのみ考えられるものである。なお、この原則は太平洋全地域にわたって通商均等の原則の適用を包含しており、米国政府の見るところによれば、かかる趣旨の下において日本はその求めんとする目的を達し得るものと思っている。日本がこの膨張政策的活動を中止し、太平洋において米国政府が執り来れる線に沿うて平和政策に出づる場合には、米国は7月中に中絶した非公式会談を再開し、なお意見交換のために適当なる時と場所を定むることを欣快とする。また米国政府は両国が非公式会談を再開しもしくは両国首脳者の会見を計画する前に、日本政府が現在の態度及び計画について今一層明快なる声明を与えらるれば、それは両国政府に貢献するものと思う。

というのである。当日大統領は終始、慇懃懇切、まことに如才なき態度をもって応酬し、また国務長官は別れの際に「何時なりとも来られよ」と申した。

備考

 その後余の得た情報によれば、国務長官は往訪の某氏に、大統領はアドミラル・野村との会談において、あまり先走りした旨語ったとのことである。

意見具申

818日、政府に対し次のごとき要旨の意見を具申した。

 「所見を率直に述べれば、今日和戦の分岐点に臨みつつあり。国内多種の意見あり。困難重疊しご苦心の程推察に余りあるも、この際責任者はまことに国家100年のために大勇猛心を発揮すべく一時の毀誉褒貶は忍んでこれを度外視せざるべからず。ドイツにありては赫々たる戦勝の間にも軍と党との間に多少の扞格(カンカク)あり。ドイツ国民も戦局の進行が必ずしも総統予言のごとく行かざるを以て多少懐疑的傾向を生じ、且、占領地の人身収攬も難物なるの報道もあり。今年はおろか明年も期待するごとき戦果を得て平和が来るとは思われず。最後の勝利は結局経済力、精神力、持久力多きものに帰するは前大戦の実証するところなり。しかるに今度の戦争においてもいずれの陣営が一層長く持ちこたえ得るやは容易に判断し難く、随って英独戦の将来は俄かに逆賭(ギャクト)し難し。またドイツが赫々たる勝利を継続するとしても、極東にありては我が単独に英、米、ソ、支、蘭印と戦う場合我が国力を消耗し、我方の希望するごとき結果を招致するとは思われず。ドイツ不利なる場合、その結果は想察に余りあり。我が国としてはあまり一方に深入りし国運を賭するがごとき危険を冒すなく、自主独往の見地より自強の途を採り、2600年の国家をますます安泰ならしむるの途を進むべし。覇道は採らず王道こそ我の進むべき道なり。我が国が戦争圏外に立ち国力を充実する以上、交戦各国は皆疲弊するを以て戦後世界の再建には我が国最も有利の立場に立ち得べし。米国としてはバックドアーに剣を擬して立つ日本の態度を見定めずしてその為すがままに傍観するはずなく、また我国としても今日極東以外の諸国と経済断交をなし永く孤立の地位を守り難し。したがって日米関係は、我が方において遷延政策を採り荏苒(ジンゼン)時を移すを許さず、今やまさに結着に到達せり。今チャンスを逸すれば最悪の場合に進むべく、事態また救うべからざるに至るは火を見るよりも明らかなり。今米国の提案に協調的に出づるも東亜共栄圏の建設及び我が自存自衛に大障害ありと認めるを得ず。何卒この際政府において大英断に出でられ、同時に公論指導に当たる情報部及び陸海軍の宣伝にも大いに意を用い、官民相携えて大局を保全するよう切望に堪えず。国家未曾有の難局に際会し、沈黙を守るは不忠なりと信じ、敢えて卑見を具陳す。

 なお8月20日、余は某閣僚と会見。氏は「大統領は広き世界観を持ち日本に対しては決して反日に非ず。今度帰華早々日米両巨頭会談に関する提案を国務省から取り上げて直接貴大使に応酬したことは前例なきことであるから、日本政府も返礼されてしかるべし」と語った。そこで余より「日本政府がここまで進んだことは大英断である」と申したところ、氏は「大統領においてもまた大英断である。第一、仮に正当の根拠なきにせよ今日のごとく当国の反日空気が横溢し、議会の空気もまたしかるとき、もしこれが漏洩するにおいてはたちまち大反対を受けるに相違ない。しかしもしこの会談が成功し太平洋の平和を維持するを得るならば、国民は初めてその結果に満足すべく、自分のごときもこの問題に多少尽力したるを以て生甲斐あったと満足すべし。将来大統領が今度のごとき率直な出方は絶対に再び期待し難く、何とか成功を望む」と申した。これには余も大なる感激を覚えた。

ハル国務長官との会談

 8月23日(土)午前、国務長官を往訪。余からそのうち東京より訓令あるものと期待する旨を申したところ、長官は、日本政府は国内の膨張主義者を抑え得るやの疑問を洩らし、かつ「貴大使と自分との非公式会談に関しては大統領と自分は全然意見一致し、大統領が進行を命じてここまできたのであるが、これを今日の現状に適するよう若干修正の要がある」と申し、種々内外に対する自己の苦心を云々した。余より「日本側においても同様で、責任者が太平洋平和のため健闘するには自己の生命を犠牲とする覚悟を要す」と述べておいた。

 次にウラジオ向け飛行機の輸送及び軍需用船舶が日本近海を航行するは、我が国民感情を刺激する旨話をしたところ、日ソ間の条約に言及し曖昧な返事をしたから、余より「このことはソ連にも注意しあり」と申したところ、これは傾聴しておった。なお、話の間に満洲増兵の意味をも説明した。また、油の資金解除に言及したところ、これは大蔵省の所管にして英国あたりの態度と照応して決せられるものであるとて、日英間の話の模様をも尋ねた。

 同日午後5時、再度長官に面会。日本政府はでき得る限り速やかに回答をなし、また首脳者会見を早めに実現の心構えを以て準備中であることを申し出で、政府訓令に従いモスクワ会談及び援ソ物資輸送差し控え方に言及したところ、モスクワ会談は返事がなく、後者については笑いながら今朝同様日ソ中立条約を指摘した。なお、長官は「お申し出のことは大統領に報告すべし」と申した。

 8月27日正午、国務長官を往訪。近衛首相のメッセージを手交して、我が政府の訓令の要点を口述し、本会見の重要意義を強く申し述べ、余と大統領と直接会見方を依頼したところ、明朝返事すべき旨答えた。

 会談の間、余より長官に対し、チャーチル英首相の演説(日本が対米戦をなす場合、英国は一時間内に対日戦を布告す云々)は有害であった旨申したところ、長官は、自分は新聞記者との応酬に慎重なることを述べ、チャーチルの雄弁を云々して居った。

 なお、東京における新聞論調などに徴して、積極主義者、膨張論者が価値を制するがごとき疑念を申したから、余は、適当に応酬、啓発に努めておいた。

 同日午後8時、さらに往訪。覚書訳文を手交、しばらく会談した。しかして翌28日大統領との会見となった。

ルーズベルト大統領との第5次会見

 8月28日午前11時ホワイト・ハウスにて大統領と会見し、訓令の趣旨を述べて、近衛総理のメッセージ及び前回米国政府の申し入れに対するわが政府の態度を声明せる書面を手交した。大統領は近衛メッセージを読んで非常に立派なものであると大いに賞賛し、なお、わが政府の態度のステートメントを読みつつ、原因と結果との差別は困難なりとの点を見て首肯するがごとく笑ひ、また仏印問題に対しては大統領は近衛公との会談成立し、その会談中に、あたかも貴大使とハル長官との会談中に日本が仏印に進駐したるがごとく、今度はタイ国に進駐を見るがごときことなきやと極めて軽い皮肉を言ったが、まず満足の模様に見受けられた。

 大統領は、両首脳会談については「自分は近衛公と3日間くらい会談したい」と述べ、わが政府がこの会見によって時局を救おうとする趣意に共鳴しておった。そうしてハワイに行くことに関して、大統領は「今や米国においては諸種の法案が続々議会を通過し、これらの法案は米国憲法の規定によって10日以内に裁可するを要し、そしてまた米国憲法の規定は副大統領が代摂することを許さない。この点は日本政府が必要に応じ臨時首相代理を置き得るのと違っている」ということを申して難色を示した。さらに「ジュノーに行くことにすれば、シャトルまでは3日それから2日行程として往復10日くらいである。よって会談に4日を費やしても14日を持って目的を達し得る訳である。ハワイとなればいかにしても3週間かかり、これは到底不可能のことである」と言ったので、余より、目的は会合にあって場所は第2次的であるからその事情を詳細に東京に申進すべき旨約した。また会合の時期については、余より、なるべく早き機会を希望したところ、大統領は早くすることには異存なき様子であったが、期日については即答を与えなかった。なお、話の間「過日のチャーチルとの会談は本年2月頃よりその申し出があったのであるが、たまたまバルカンに戦争がおこったため、英国が都合悪く延引したものであり、また余の出張についてはやはり議会の同意を得てやったのである。近衛公との会談は3日間くらいを希望する」と言い、また「近衛公は英語を話すや」と問い、「然り」と答えたるに対し、「それは非常に好都合である」と述べた。

 

近衛メッセージおよび我が政府の訓令

近衛メッセージ(原文カナ書き)

 「貴大統領と本大臣との会見に関する当方提案に対し、8月17日野村大使に手交せられたる文書により貴大統領が上記着想に同感の意を表せられたるは本大臣の深く多とするところなり。

 現下世界動乱に当たり国際平和のカギを握る最後の2国すなわち日米両国がこのまま最悪の関係に進むことはそれ自体極めて不幸なることのみならず、世界文明の没落を意味するものなり。我が方が太平洋の平和維持を顧念するは、単に日米国交改善のためのみならずこれを契機として世界平和の招来に資せんとするにほかならず。

 思うに日米両国間の関係が今日のごとく悪化したる原因は、主として両国政府間に意思の疎通を欠き相互に疑惑誤解を重ねたると、第3国の謀略策動によるものと考えらる。まずかかる原因を除去するに非らざれば、両国国交の調整は到底期し難し。これ本大臣が直接貴大統領と会見して率直に双方の見解を披歴せんとする所以なり。しかして7月中断したる予備的非公式商議は、その精神的及び内容概ね妥当なるも今後引き続き商議を進め、然る後両首脳者間においてこれを確認せんとする。従来考えられたるがごときやり口は、急激なる進展をなしつつありあるいは不測の事態を惹起するのおそれなしとせざる現在の時局に適合せず、まず両首脳者直接会見して必ずしも従来の事務的諸商議に拘泥することなく、大所高所より日米両国間に存在する太平洋全般にかかわる重要問題を討議し、時局救済の可能性ありや否やを検討することが喫緊の必要事にして、細目のごときは首脳者会談後必要に応じ事務当局に交渉せしめて可なり。

 本大臣が今次提議をなせる趣旨ここに存す。貴大統領においても十分この点を了解せられ「レシプロケート(=返答)」せられんことを切望す。

 如上の次第なるを以て当方は会見の期一日も速やかなることを希望し、会見の場所としては諸般の考慮上ハワイ付近を適当と思考する次第なり。」

わが政府の訓令

 帝国政府は1941年8月17日在米日本国大使になされたる通報を受領し、右に対しその見解を陳述すること以下のごとし。

1.合衆国政府は日本国の仏領印度支那に対する行動及び措置に関し、太平洋地域における平和的解決に関連する会談をこの上続行する基礎を失いたるものと断じ、日本政府がその膨張主義的活動を停止しその立場を調整し、かつ合衆国が遵奉しおる「プログラム」及び原則に従いて太平洋に関する平和的「プログラム」に乗り出すことを期待するとともに、この際日本国政府現在の態度および計画に関し、従来提示せられたるよりもさらに明瞭なる「ステートメント」の提示を希望し、同時に日本国政府が隣接諸国を武力または武力的威嚇による軍事的支配の政策または「プログラム」遂行のため、さらに何らかの措置を採るにおいては直ちに合衆国政府の必要と認める一切の手段を採るべき旨を確言せり。

2.帝国政府は合衆国政府が日本国従来の誓約並びに対外的行動及び措置に関し、屡次の説明にもかかわらず今なお誤解と危惧の念を抱きおらるることにつき深く遺憾の念を禁ずる能わざる次第なり。そもそも合衆国政府は自己の誓約せる原則信念のみを基調として、太平洋地域における平和的解決に有害なりと認めらるるある種の状態及び措置を指摘せるところ、帝国政府は現在のごとく世界的危機及び国際的混乱の雰囲気の中において、ある事件が原因なりやまたは結果なりや認めることは極めて困難にして、しかもこれが判断につき一方的既成事実にのみよりこれを決することが危険にしてかついかに恒久的平和に害あるべきかを指摘せざるを得ず。

 一国の自然的平和的発展が阻害せられまたはその生存条件が他より脅威を与えらるるがごとき場合に、その国がこれに対応的装置を採りまたは防衛的手段に出ずること万已むを得ざることなるのみならず、平和維持上まさに当然のことなりと言わざるを得ず。したがって右対応的措置及び防衛的手段のみを批判する前にまずその原因を究明是正することこそ恒久平和確立の最大原因なりと認める。

 遠き過去のことはしばらくこれを措いて論ぜず。これを最近の事例に徴するも合衆国の新聞記事及び論説の多くは極東における英米共同の政策の結果として日本国に対する脅威を予言し、さらに英米蘭蒋の対日圧迫陣の形勢を暗示せり。その間合衆国は日米間に当時行われたる友好的会談と抵触し継続的非友誼的圧迫を意味しかつ日本が東亜において必要なる天然資源の獲得及び機会を奪わるるやを示す幾多の措置に出でたり。合衆国政府は右行動のあるものは、米国の利益および原則に有害なる日本の政策及び手続きに対する対抗措置に過ぎずと思考するも、他方日本国政府は、自己の行動が日本国の国家的必要の充足及び防護に悪影響ある環境的政治的障害に対応せんとする考慮により支配せられたるものなりと思考す。

 このようにある一国政府が正当なりと信ずることも相手方より見るときは全く反対の感を抱くの結果となり、また紛乱の因となるものなることを忘るるべからず。従来の事例に徴するに合衆国政府が自ら持って平和的手段なりと思考せるものの中にも合衆国の既成の事実、自然的条件及び潜勢力により相手国に威力を加えられ居ることを合衆国は看過しおるに非ずやと思考せらる。

 合衆国大統領及び国務長官は平和的手続きの方法に対する固き執着心よりして、世界のいかなるところにおいても他国民が合衆国により脅威せらるると感ずるがごときことは信じがたきこととするものなるべきも、これら無言の脅威の調整緩和せられざる限り各種の条件において合衆国に比し不利なる地位にある(特に資源に乏しき)国民は、その合衆国との関係を防御的に考慮することを余儀なくせらるるものなることを深く念記すべきなり。

 何事も相手方の個々の行動を批判するよりも、その原因となるべき立場及び条件を真に理解することのみより平和と幸福を獲得し得るものなりと信ず。

 従って日本国政府は、合衆国政府がこのたび太平洋地域における永続的広範なる平和を条件づけるべき了解の基礎として、基本的政策及び態度に関する意見の交換を慫慂せられたることを多とするものなり。

3.帝国政府の仏印共同防衛措置は屡次闡明(センメイ)せる通り、帝国の生存条件脅威に端を発したる支那事変解決促進のため、また太平洋平和撹乱の因たる諸脅威に対応して平和を維持し我が必需物資の公平なる獲得のため、自営上真に已むを得ざるに出でたる措置にして、これによりほかに脅威を与えるべき性質のものに非ず。故に帝国政府は支那事変にして解決するかまたは公正なる極東平和の確立するにおいては、直ちに兵を仏領印度支那より撤収する用意あることご承知の通りなり。なお帝国政府は可能なる一切の疑惑を除去するがため、今次の仏印行動防衛措置により近接地域に対する武力的進出の予備的行為たらしむるものに非ずとの屡次声明をここに改めて確言するとともに、前期の所言により帝国政府の「タイ」国に対する意向も自ら明らかなるを信ず。さらに日ソ関係についても帝国はソ側において日ソ中立条約を順守しかつ日満に対し脅威を与えるなど、同条約の精神に反するがごとき行動なき限り進んで武力的行動に出づることなきを合わせて明言するものなり。従って合衆国政府においても日本国側においていやしくも米ソ共同して我が国に脅威を加えるものなりとの危惧の念を抱かしむるがごときは、絶対にこれを避けらるるよう要望に絶えず。これを要するに帝国政府は隣接諸国に対し進んで武力行使の意向なし。

4.合衆国政府は、太平洋全局についての平和的解決に関する会商の基礎発見を目的とする日本国政府および合衆国政府間の非公式討議は当然平和的手段により達成し得べき「プログラム」の立案を予見するものなり旨を述べられたるが、右については日本国政府もまた見解を一つにす。また合衆国政府は、合衆国もしくは日本国のいずれかの権利及び特権に関連せる何らかの提案もしくは合衆国が従来遵奉し来れる原則に適合するものを除き考量せられざることを明白にせるところ、右は日本国政府の抱懐する根本的国是についても同様たるものとす。

5.帝国政府は、合衆国政府が非公式討議において予見せらるる「プログラム」として縷述せられたる原則及び希望に関し、右は全世界に適用せらるべきものにして、従ってその一部たる太平洋地域にも適用せらるべきものなること、ならびに右実施のためには地理的にも資源的にもその他軍事的政治的経済的にも他国より優れもしくは有利なる条件にある国が、これが配分及び協力につき極めて衡平なる態度に出ずべきこと、及び一国の存立上必須の要求はまずその隣接地域との関係において相互に充足調整せらるることは必然的かつ当然のことにしてかつ平和確立促進上緊要のことなりとの見解を有するものなり。

6.前期所術により帝国政府の意向明らかなりと思考するところ太平洋地域における平和維持のためには日米両国政府が衡平の立場において建設的に将来の問題を協議すること最も緊要なり。この見地より両国首脳者の直接会見を最も時宜に適すと確信す。しかして右会見が極めて友好的に行わるるがためには、本政府が合衆国政府より圧迫を受けつつありとの印象を与えるがごとき措置は速やかにこれを緩和せらるること最も望ましと思考す。日本国政府は、合衆国政府が世界平和建設の大局的見地より右日本側要望に「レシプロケート」せられ国際関係の現状に鑑み本件会見の速やかに行わるべきことに賛同せらるることを確信する次第なり。

ハル国務長官との会談

 8月28日大統領と会見当夜、ハル長官を往訪し、議題その他について長時間会談した。彼の言うには「両国首脳会見の上一方がある点を踏ん張って話のまとまらないことがあったならば、真に最も憂慮すべき結果を来すからして、あらかじめ大体の話をまとめておいた上、いよいよ両者の会見となればこれをもっとも最後的に決定する形式と致したい。大体従来の話をアップ・ツー・デートになす要があるが、米国側においては支那問題は重要な問題の1つであるからこれを離れて日米国交調整は困難である」と繰り返し申し「日本は単に日支間の橋渡しと言われるが、米国側としては繰り返し申した通り、日米国交を改善するとともに米支関係に悪影響を来すことを欲しない。米国政府の行為により支那が爆発するがごときことあるを望まない。従って日支交渉の原則はこれを承知し支那をして納得せしむるを要する次第である。結局この問題は日支間に和平を来し、これに英国も、ソ連も、オランダも同調せしむるを要する次第であって、米国政府としては困難なる大仕事である。」と述べた。

 支那の撤兵に関しては、余より「従来申せし以外何等新しきことなし」と答え、また自衛権問題についても従来の応酬を繰り返したる後、「ただし近衛公において自ら出馬を決心される以上、これらの点において話し合いをまとめる成算あるものと余は信ずる」と言ったところ、長官は「従来の話し合いだけにては駄目であるから日本政府の確たる意向を承知したい」と申した。

 ついで首脳者会見の話がまとまった場合の事務的方面のことを種々余より語ったところ、長官はそれらの点は大統領と話そうと申した。

 余の私見を以てすれば、要するに長官は極めて慎重なる態度を採り、大綱について双方の意見を略々一致せしめざる限りは、首脳者会見の運びに至らざるべしと思料せられた。

 9月1日午後8時、国務長官を往訪。長官は太平洋平和維持は極めて必要であるが、近衛内閣が武断政策より一転して平和政策に復帰するにおいては公論の反対のため退却を余儀なくされる恐れもありと認めおるらしく、またこれらの懸念を内外より注進せられる趣であったので、余より近衛公の地位を以てかつ首相として未曾有の会見を断行せんとするにある以上、かかる懸念の絶対に無用なることを説明したところ、長官は、日本のグルー大使より逐一報告があったものの如く「日本政府においてその総意により公論及び有力政治家、軍人を指導せられ、平和政策に共鳴せらるることが望ましく、またそうやられるならば米国側はやり易くなる」と申し、さらに進んで長官は、「支那は平和を欲しない。かつ支那人は日本にはそのうち必ず武断内閣が出現するものと認めている」と言うから、余より「支那は米国の駄々子となり勝手を申すものである」と応酬したが、長官はいつものごとく支那を怒らしめず、日支が友好関係を回復することはなかなか骨の折れる難行であり、またこれにつき英国その他の国を納得せしむる必要を述べ、余より懸案の3問題中自衛権は難しき問題に非ず、無差別主義は今回のステートメントにも一応容認しており、また近衛声明にもある通りで解決の方法があろう。北支、内蒙の駐兵問題も、これは無期限の駐兵権ではなく、そのときの状況によって解決せらるるものであって、日本政府において何らかの案ありと認める旨話をし、要するに政治の大局より見れば米国といえども2正面のトラブルを欲する理由がなく、日本もまた極東の平和維持を念とすることは累次の詔勅を拝しても明らかであって、これらの点は何等疑なきことを明らかにし、会合の速やかなる実現を勧告しておいたところ、長官も「太平洋の平和維持は最も喜ぶべきことである」と申した。