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活 動 報 告report

 米国に使して~日米交渉の回顧~ その4     平成28年9月18日 作成 五月女 菊夫


ルーズベルト大統領との第6次会見

 9月3日午後5時、大統領と会見した。

 大統領は「近衛メッセージ」に対する返事及び米国政府の覚書の2通を読み上げたる後、「自分も、近衛公も、貴大使も、国務長官も、等しく太平洋平和のために努力しているが、日米両国にはそれぞれ国内世論があって、米国においては自分に対し、もし日本と妥協するとして従来の政策に変更なきことを頻々として要求してくるありさまである。おそらく近衛公も同じであると思う。従って自分は近衛公に対して最も同情を有している」と申した。

 またハル国務長官も傍らから日本の政治の現状を質したので、余は近衛総理が断固として進むべき旨答えておいた。なお余より懸案の3問題については、2件はすでに原則的に一致しているのであって、残る撤兵問題に関しても総理が出馬するという以上、総理において日米が合意し得る成算があるが故であると説明したところ、国務長官は、3原則の他になお、2、3字句の点に修正を要するものがあり。なおこの話がまとまった上は、英、蘭印、支那の諸国をして納得せしめる要のある旨を繰り返し話した。

 よって余は「まず日米間に話をまとめることが緊要である」と申したところ、大統領は「自分がチャーチルと会見した折も現在の日米国交調整の内容を話さなかった。なんとなれば英国においてはすべて閣僚に話す習慣があるし、またその閣僚は議会に臨んでこれを披露する、随って秘密を保ち難いからである」と言った。国務長官は、別に内容をそれらの諸国に話したわけではないと釈明した。

 また大統領は会見の日取りについて、9月下旬には1つの約束があるが、その他には今のところ約束がない旨語り、余より太平洋の平和維持のためには大統領のハイ・ステーツマンシップに負うところ大なるものあることを述べたところ、大統領は首肯していた。しかし大統領は「貴大使と国務長官との間でまとまらないことは、ほかの何人を以てするも難しい」と言った。

           

「近衛メッセージ」に対する返事及び米国政府の覚書

 返事の要旨

 8月27日付き閣下のお手紙を感謝を以て読んだ。

 太平洋の平和を維持し、日米国交を改善せんとする日本の態度に関しお述べになった点は誠に満足の至りである。余も閣下と希望を同じくし、さらに米国政府は急変しつつある世界の状況に鑑みて日米両首脳会見が速やかに実現することの用意がある。閣下の手紙についている「覚書」において、日本政府は米国政府が多年採り来ったプリンシプル(原則)に関し、日本政府はこれらの原則およびその適用に対し友好的態度をもって考慮し、かつそれは平和の真の要件にして単に太平洋のみならず広く全世界に適用せらるべきものなりと考え得る旨、およびこれが日本の長き希望であると述べられた。余はこの際これらの原則を実効的ならしむる上において、閣下と協力することを深く希望す。余はこのことに関する自分の深き関心よりして、終始自国及び日本において両国関係の問題に関する発展を絶えず注視するを必要と信ずる。この機会において余は、日本のある方面において閣下と余がなさんとする協調の成功に対し妨害を加えんとする傾向のあることを見逃すことができない。よって余としては用心深く吾人の会合を成功せしむるため、直ちに我々が協定せんとする根本的にして重要なる問題の予備会談に入ることこそ非常に望ましきことであり、それは必ず閣下の同意を得べきことと信ずる。この予備会談においては、閣下の手紙に付属している「覚書」において、特に示唆せられている平和の達成および維持のための基本的なる諸原則の実際的適用を含むものなりと考えている。余はこの定義を閣下が好意的に見られんことを望む。

覚書の要旨

 8月28日の日本政府の提言においてなるべく速やかに両国の首脳者が会見し、両国間の太平洋全地域にわたる重要なる問題を協議し、もって時局を救うということに関連し、また大統領とのかかる会合が成り立つためになるべく速やかに米国政府が動く用意あること、並びに会談の際議題に上る重要問題の予備会談あるべき旨を述べた大統領の返答に関係し、米国政府の所見を申し述べる。

 4月16日に国務長官と日本大使との間になされた非公式会談の始めにおいて、国務長官は米国政府はすべての国際関係において根本たるべき4原則を申し上げた。この4原則は次のとおりである。

1.あらゆる国の領土保全、主権の尊重

2.他国の内政に関与せざる主義の支持

3.機会均等主義の支持、その中には商業上の機会の平等を含む

4.太平洋地域における現状の維持、現状の変化は平和的手段によること

その後の会見において国務長官は、米国政府の意見にては日本はこの主義に従って得るところ多かるべく、結局これにより日本は原料および市場の至るところに立ち入ることができ、米国その他の国と共同する途が開かれること、しかしてこれらの原則の下においてのみ太平洋における安定および平和を設定し得る協定に達することができ得ることを申し上げた。

 次に8月28日の日本政府の覚書きにおいて日本政府の平和的意図を保障され、日本は太平洋地域においては米国政府が長く保持し来った原則と一致するプログラムを求めるという知らせを得て満足するものである。米国政府は、その保障は要するに政治的拡張もしくは経済的権利、利益また特権を力によって求めないということに了解している。これに協力することは米国政府として非常に望むところである。米国政府は日米両国が平和的妥結に到達する協力の成功のために用心することが必要なりと信ずる。

 6月21日に差し上げた覚書きは、5月12日の日本政府の提案を修正したものである。それにおいてなお両国政府の意見の一致しないものあり。そして7月話し合いが中断した際になおそのままになっている。米国政府はすみやかに決定的な討議に到達することを望む。しかし以上申し述べた点において、意見の一致の存することが太平洋問題の満足な解決のために必要であると信ずる。それらの点に対する日本政府の現在の態度の表示を欲する。

 両国政府とも国内の状況および世論の状況を考慮しなければならぬということは申すまでもない。日本政府は、米国政府が自国国民の信じている原則――あらゆる国民は力を持ち得るよりも平和的方法を選ぶ――と同調しない協定をなすことは不可能であることを認められるであろう。以上申した件について日本政府の答えを得たい。

備考

 米国政府は一時大いに乗り気であったことは事実であろうと思う。しかし今日の返答に対する交渉を東京およびワシントンにおいて継続中、妥結点を見出すことに至らないうちに、近衛内閣の退陣となり東条内閣になったのである。

ハル国務長官との会談

9月4日午前9時、ハル国務長官を往訪。長官は大統領覚書の4原則を取り上げ、なかんずく機会均等の原則に関し従来の主張を繰り返した。

 余より「8月28日我が方の回答中にもある通り、日本政府は原則として異存なき次第にあり。従来未解決の問題をまず片づけることとしたし」と述べたが、長官は「根本原則の問題を処理することが必要であって、米国は日本との会談に当たり英、支、蘭などの第3国を裏切るような印象を与えるのを欲しない。日本も原則に立つことを明らかにして第3国を納得せしめる必要がある」と述べた。

 余より、なお6月21日付け米側提案に言及し、欧州戦争に対する交換公文案削除方を申し入れたところ、長官は難色を示した。なお、防共駐兵にも反対にして、完全なる撤兵を希望するよう察せられた。先方の態度はますます硬化したるもののごとくに認められた。

 9月6日午前9時、ハル長官を往訪。余より日本政府の提案を手交し、帝国政府の見解は8月6日の申し入れ、8月28日の「近衛メッセージ」およびその付属ステートメントによって明らかにせられた通りであって、今回(9月6日)の提案、ことにその(b)(日本は仏印およびその近隣地帯に対して軍事行動をなさざること、並びに日本の北方地域に対しても正当の理由なければ軍事行動をなさざること)および(c)(日本および米国政府の欧州戦に対する態度は、自己防衛よび自衛を考慮して決定する。米国が欧州戦に参加する場合には、3国条約の解釈実行は日本独自に決定す)は、米国側の要望に合致すること大なるものである。以上は日本政府として為し得る最大限度を表すことを信ずるものであるが、米国側においても事態を洞察して、両国首脳の速やかなる会合実現のため協力を要請する旨を述べた。これに対し長官は週末篤と考慮する旨答え、なお日本の現内閣はどれほどしっかりしているのかについて関心を示し、米国側においても国交調整の議論が起こりつつある次第であるから、日本においても世論をこの方に指導することの望ましい旨を述べた。

 余より太平洋平和維持の必要を強調したことに対しては、長官は同意しつつも却って用心深いように見受けられた。この頃の米国の状況は日本に対して強硬態度を採るべしとの説多く、たとえばギャラップ調査を見ても、日本との戦争を賭してまでもなお日本の発展を阻止すべしという説が急に増加し、7月には57%であったが、この頃は70%となったことなどはその例証である。

 9月10日午前9時、ハル長官を往訪。余より「6日の日本政府申し入れに対しいつ頃返事を期待し得るや」と尋ねたのに対し、長官は「大統領は明11日にワシントンに帰るからその上で懇談しご返事することとなろう」と答えた後、「日本政府は今までの合意点を非常に限定しているようである」とて多少不満の色を示したので、余は「回答中に記載してあるとおり、従来意見の合致した点を省略し難点を摘記したものである」と説明しておいた。なお、米国側は英、蘭、支などの意向を聴取しているやに見受けられた。

状況報告

9月11日、駐兵に関し政府に対して以下の要旨の発電をした。

 国交調整の難点累次往電のごとく防共駐兵の問題なり。今回の我が提案に対しても他の点には大なる難色を示さざるよう感ぜらるるも、駐兵については強硬なる反対を持つよう見られる。これが打開策として駐兵に触れることなく、平和克服後2年内に撤兵する案に折り合うようご考量相成り、我が方最後の肝をご決定方お願いする。本来この問題は日支間の問題なるも、米国は橋渡しの関係上これを云々する次第なるをもって、本案により両首脳の会見となり、引き続き日支間細目協定の成立となり、続いて休戦及び講和会議となるまでには、あるいは1年以上に至ることもあり得べく、随って今日平和成立後2年以内の撤兵を約束するともその間種々情勢の推移も予期せられ、従来の国策に背馳(ハイチ)する結果となるとも思われず。もちろん国内問題としては誠に困難なる問題なること拝察に余りあるが、至急何分の御回訓を得たく切望に堪えず。

9月14日、政府に対しての発電中に以下のような事項がある。

 大統領は、予備会談についてはハル長官に一任しおる形である。現に大統領は本使に対し「ハルと貴下との間にてまとまらざるのならば他の何人を以てするもものにならず」と述べたこともあり。またハル長官は「過去8年間外交政策について大統領と自分は常に一致している」と申したことがある。

 日支の仲介については、米側は公正なる条件の内示を前提としつつある限り、条件列挙を取りやめ斡旋を依頼し得ざることは確実である。今次の話し合いを日米両国間のみのものとするご趣旨は、早速ハル長官に通じておいた。

要するに予備会談において意見一致なき限りは首脳者会見の望みがない。

9月17日の日本政府に対しての発電中に以下のことがある。

 例の筋よりの聞き込みによれば、先週金曜日の閣議において閣僚間に日米交渉に対する気運が生じ来って、大統領も予備交渉がまとまれば出馬の意あること間違いなき由である。

9月18日の同発電中に下記のことがある。

 情報によれば、ハル長官は某氏来訪の際「日米交渉は2週間前ほど有望でない。日本政府部内において意見対立し如何になるや、今のところ予測し難い。生糸、石油のバーター問題は差し当り考慮することができない。今1、2週間形勢観望の他なし」と語った趣である。

9月19日午後9時、9日ぶりにハル国務長官を往訪。9月6日の我が提案に対する彼の意向を質したるもあまり内容ある返事はなかった。会話の中に彼の意中と思われるものは以下のとおりである。

 会談を長引かす意思はない。なるべく速やかに完成したいのは米国も日本と同様であると言った。米国は一面平和、他面武力行使の政策に反対であるが、日本は太平洋全面平和の間に、平和政策によって大いに進歩発達するに相違なく、これ日本のためにも利益であると従来の説を繰り返した。

 長官はかつては東洋の平和には強き日本の存在を必要とする旨語り、同時に、平和50武力征服50にては困るが、もし完全に日本が平和政策を採るならば、日米問題は一夜の間に解決できる。字句のごときは枝葉末節であるというようなことも申した。

 長官は日本の内政は米国の内政よりもなお一層困難であると思っている。また日本にはドイツと一緒になって戦争を望む者よりも、平和を望む者の方が多数であると認めている。

 政府訓電の通り、この話を日米間の話に止めることは長官も了承しているが、ただ米国としては太平洋に利害関係ある諸国と連絡する必要ありと言ったことがある。  

 日本に対し懐疑的なるは覆い難いが、素直に申せば、米国側においては日本は米国を宥めつつ武力政策に出づるものと認めているようである。

備考

 ウォーレス副大統領は来訪の某氏に対し、日本に対しては融和をやらぬ政府の方針であると語った由である。

状況報告

 9月22日の米国近情に関する発電中以下のようなことがある。

 以前米国は味方諸国を助けつつドイツを破る方針を採っており、ソ連に対してはそのよく戦うに満足しありしも、最近の戦況を心配し、極力英及び米国政府の援助によりその単独講和を防止し、冬を持越し春となってもなお十分戦力を保つよう望みつつあるようである。このときに当たりさらに60億ドルの援助予算を出しこれにより英ソ間の戦意を高めんとしている。英国に対してはドイツの上陸作戦はますます困難となり、かつ大西洋の船舶保護に米海軍が一層積極的に乗り出し、明年は1年にて米国のみにて重量トン600万トン建造の見込みを立て、もって大西洋の危機を突破し得て英国は大丈夫であると考えている。ドイツに対しては国民の戦争意識はなお強固なるも、一面伊国は戦列より落伍することあり得べく、占領地域民心の不安あり。そのうちにドイツの持久力に亀裂を来すに至るべしと観測し、戦争は短期とするも1両年、長期となれば5年、10年の説さえあるが、国民一般はまことに大国悠々呑気なるものであって、この戦争に敗れるなどと思いおる者皆無と言って可なりである。戦争行為としては海軍が戦争に参加する程度で足り、大規模の遠征軍を出す気分などは今のところ皆無と認められる。ただし陸軍当局はどしどし準備をしている。

 政治界は孤立論漸次凋落して政府の外国政策支持の方に向かいつつあり。極東問題については国民一般はさらに呑気にして、日米戦争となるもやむを得ないと思いおり、両国海軍の比較論評など多いが、要するに日米戦は海軍の舞台であるとし、日本の経済力はおそらくは長期戦に堪えないであろう。軍艦の損失補充の力も米国に比べれば劣っている。ゆえに米国は結局勝つものと自惚れて対日危険を感ずる気分は誠に少ない。

 外交問題としては在来の極東方針を堅持しつつ、この際支那の犠牲において日本と妥協するがごときは不可なりという議論が最も多い。ニューヨーク・タイムズのホワイトハウス通信人クラックホーンが言うには、「日米国交調整は目下停頓状態にある。日本の支那における特殊地位要求と、ハル長官のこれを否定する主張とが一致を見ざるがゆえに、近衛総理は大統領と直接交渉を希望するに至った。しかし大統領は元来ハル長官と絶えず相談しているのである。今日米国海軍の大部分はなお太平洋にいるが、日本はソ連の形勢次第によって南あるいは北と動くことがある。従って米国は両大洋において同時海戦を見る恐れがあるのである。大統領はこの点について特に考慮を払っている。日本の平和条件としては、日本は北支4省とその上に条約諸港を握って、なおその他にも若干小部隊を置く所があるようである。しかし米国政府は支那を犠牲とする日本との妥協を欲しない。しかし日本が武力侵略を止めるならば、日米通商関係を復活して日本に経済的援助をなす」ということを述べている。

 9月23日午前9時、ハル長官を往訪。「屡次(ルジ)の訓令の趣旨に基づき我が方は既に言うべきことを言いつくした。東京においてもこれ以上言うべき何物もない。3国同盟の関係についてもこれ以上のことは両国首脳の会談に譲るほかなく、9月6日の提案は米国案を狭めたものではない。むしろこれを拡大している」ということを説明するとともに、東京の状況を述べて、わが政府は両国首脳者会談の速やかなる実現を衷心希望するものなることを語ったところ、ハル長官は、首脳者の会談を促進するため非常に骨折っていることを述べ、「日本側において公論をご指導ありたきことは従来申し上げたがこの点はいかに」と問うたから、余より「繰り返し申し上げた通り、政府において意を用い事態はよほどよくなっている」と答えた。なおハル長官より余個人の意見を求めたから、「わが政府は3国同盟と日米国交調整は両立し得るものと考えている。両国首脳の会見は太平洋の平和を強固ならしめるものである」と答えた。なお、余より少なくとも主義上、首脳者会見に関する同意を求めたるに対し、ハル長官は確たる返答を与えなかった。

 ついでハル長官は世界情勢に言及して「日米が世界の平和再建を考え得ることは今日においても遅きに失することはない。自分としては日米両国が世界にリーダーシップを与える絶好の機会を握っているものと考えるが、ただ両国の政治的手段がこれに対応し得るや否やを疑念とするものである」と述べた。よって余よりこのためにも両国首脳者会談の必要を説いておいた。

 

 9月24日の発電中に下記のことを述べた。

 仰せのごとく今は蒋介石にとって最後の5分間なるにつき、本使においてもご訓令に従い最善の努力を致すつもりである。

 9月27日、松平書記官がバレンタイン参事官を往訪。6月21日受領したるいわゆる「米国案」を基礎として東京において作成の了解案を先方に渡し、長官に交付を依頼した。

 9月29日午前9時、ハル長官を往訪。大統領に内密会見方を依頼したところ、長官は「大統領は目下不在であるが帰華次第面会、一両日中に政府のメモを差し上げる」と申した。長官は、この際大局的見地に基づき小異を捨てて大同につくべき必要には共鳴していたが、日本全体の公論を問うたから「わが政府も陸海軍も、日米了解には賛成であるが、国民全体がこれを了解するには時を要する。米国がモンロー主義を唱えて事実上米大陸にリーダーシップを握りつつあるに拘らず、なぜにアジアにそれほど深く干渉するやと考える者もあり。日本の公論が一朝一夕に米国の希望する通りに定まるものではない。これが定まるを待つがごときは100年河清を待つがごときものである」と言っておいた。

スターク大将との会談

 9月29日、余1人ドライブ中海軍省前に至り、突然の思いつきにてスターク大将を訪問した。案内の副官は如才なく「緩々お話しください。自分は心得ているから」と言う。これはおそらく同大将と最後の会見であったと思う。大将は最高の作戦責任者であるが、余はたまたま海軍出身なるがゆえに親しくなった。しかし国交がだんだんと悪化するに伴い、同大将の迷惑となることも察して自然遠慮するに至ったのである。

 大将は支那の駐兵問題が結局交渉の障害となる。また支那事変を解決するにあらざれば、日米の了解は困難だと認めていた。後刻来会したターナー少将は、大軍を短時日の間に撤退することは不可能と認めていたが、日本は撤兵を肯んぜざるものと判断していた。かつ予備交渉まとまることなくして両国首脳の会談をなすは危険と考えていた。3国同盟の問題につき第3条の攻撃に関連して大将は「米国より進んで日本を攻撃することなし」と言った。

 大将は誠実寛厚の紳士である。余に対しても終始懇切であった。余より「着任以来何ら実績を上げ得ず、慙愧の至りなり」と言ったのに答えて、「君を知る者はいずれも君の努力を多としつつあり」と言い、「ビジネス・コンディション・ウィークリー」の極東問題に関する記事を示して一読を促した。その記事の要点は、日米の決着切迫しつつあるも日米ともに戦争は無用なり。日本が政策を転向し国交の調整ができれば、米国は日本の繁栄を望むというのである。別れに際し大将より相当の努力は致すべしと挨拶があった。

 (付記)そもそも国にはそれぞれ主義主張あり。外交は冷厳なる事実によって行われる。しかしてこの不幸な戦争も大きく見れば我が国の運命である。しかしそれとは別に人間味の交流もある。同大将は余に対し、市中を散歩するよりもネバル・オブザーバトリー(大将の官邸はその境内にある)内の散歩を勧められ、いつか花鉢を贈ってきたこともある。余はこの1節を書く間にも、同大将やプラット大将などの面影が余の眼前に髣髴たるを感ずるのである。

ハル国務長官との会談

 10月2日午前9時、先方の求めによりハル長官を往訪。ハル長官は、米国政府の回答を余に渡して、米国政府はあらかじめ了解成立するにあらざれば、両国首脳者会見は危険であると考えていること、太平洋全局の平和維持のためには一時の間に合わせにまとまった了解では不可で、はっきりとした協定を欲する旨申した。

 余は「この回答では東京はさぞかし失望するであろうが、とにかく伝達すべし」と述べて引き取った。

同回答の要旨

 9月6日ご提出の日本政府の提案及び付属説明書に関し、十分なる考慮を払った。これに関連して日本政府より受け取った他の書類についてもまた十分検討した。その結果米政府の所見を申しあぐれば、米政府は平和政策の目的および原則に寄与するために、両国首脳会見及び従来の非公式会談を再開することの申し出を歓迎する。8月17日大統領の回答において、大統領は非公式会談は平和手段によって達すべきプログレッシブ・プログラムを仕上げるにある、かかるプログラムは太平洋全域にわたって通商の平等主義の適用を含む、これによりあらゆる国によって必要なる原料および他の物資を獲得し得ること、しかしてかかる政策の結果日本を含むあらゆる国が利益を得べく、その結局において日本政府が合衆国の執る政策の線に沿って太平洋の平和政策に出るならば、米国政府は非公式会談を復活し、なお進んで適当なる時と場所において喜んで首脳者会見をなすことをお答えした。8月28日の日本総理大臣のメッセージおよび日本政府の覚書において、米政府の根本政策と一致して日本は平和の道を進むにあるという書面を受け取り満足の至りである。その覚書において日本政府はある制限のもとに平和の保障を与え、その中には日本政府は近隣諸国に対して理由なくして兵を用うるの意図なしということがあった。米国大統領の述べたプログラムは太平洋の全域に適用されるのみならず、なお全世界に適用される旨をも闡明(センメイ)された。米国は両国首脳の会見を速やかになすべく望むとともに、その会見が目的を達するためにある原則及び太平洋方面におけるその適用を明らかにする必要を感じた。別に細目の点に入る意思はないが、この点を明らかにすることが両国了解のため必要なりと認めた。9月3日、大統領はその返答中に、日本政府が引用せられたる原則を有効的ならしむるために協力する熱心なる希望を述べ、米政府の4原則を繰り返した。その4原則は、1.あらゆる国の領土および主権の尊重、2.他国の内政に干渉せざること、3.平等主義の支持、4.平和的手段による他は太平洋における現状を破棄せざること、である。大統領は太平洋問題の満足すべき解決のために、従来意見の一致を見なかった点について一致に到達する必要を感じ、日本政府の現在の態度の支持を請うた。9月6日、日本総理大臣は東京において、米大使との会談において4原則には主義上一致する旨を言った。

 以上の経緯並びに日本政府のなされた他の声明などと合わせて、米国政府は日本政府が太平洋全域にわたってプログレッシブ・プログラムを採るものと認めていた。ゆえに米国政府は9月6日日本政府の提出した提案が、両国政府の見解に相違あることを示しているため失望せざるを得なかった。この提案及びその後の説明により米国政府の見るところでは、太平洋全域における平和及び安定を目標とするプログラムを狭めている。日本総理大臣および日本政府が従来与えられた保障は大いに満足するところである。しかし他の国民にその平和的意図を適用するにあたって日本政府はある制限をなした。現状において、仏印隣境のタイあるいはソ連において、日本に対する侵略及び挑発の発生を考えることは困難である。自衛権の不可侵はもちろん各国の認めるところである。ゆえに日本がその保障を制限する所以について、或る者には疑いが起こる。従来の非公式会談において経済政策に関するあるフォーミュラを得たが、それは日本の活動も米国のそれも、太平洋地域において平和的手段によりかつ国際通商において無差別主義を採るにあった。9月6日の日本案においては南西太平洋と制限され、太平洋全域ではなかった。支那に関して日本政府は無差別主義を尊重すると申されるが、しかしこの点に関する説明は、地の近接によることにおいてある制限を考えていられるごとくである。もしも米国もしくは日本が、ある地域に対しては1つの政策を執り、他の地域に対しては反対の政策を執るにおいては、日米両国政府の確認する目的を達することはできない。米国政府は日本政府が支那のある地域に無期限駐兵をなすべき所見を知った。その理由の論議とは全然別に、日本が支那における大地域を軍事占領しているときに、日支平和条項にかかる条項を挿入することは異論を生ずる。たとえば甲国が乙国の領土を占領中、乙国に対してある地域に継続的駐兵をなすを条件として、他の地域にあった占領軍の撤退をなす、これは従来話し合った進路及び原則と異なる。米国政府の見るところによれば、これは平和に貢献せざるものと思う。日本政府の支那及び仏印よりの撤兵に関するはっきりとした意思表示が、日本の平和的意図を明らかにするために貢献するものと信ずる。欧州戦に対する両国の態度については、米国政府は日本政府のとられた態度に対して感謝する。もしも日本政府が一層明瞭にする用意があるならばさらに結構である。両国首脳の会見に関しては、米国政府は太平洋全域に対してリベラル・プログレッシブ・プリンシプルの適用を必要とすることを明らかにした。日本政府の今まで表示せられたるところにては、米国政府は日本政府が種々なる制限を付しまた例外を設けたように思う。もしこの印象が正しいとするならば、両国首脳がかかる状況の下に会見してもその目的に貢献し得ると感ぜられるだろうか。米国政府は日本総理のメッセージの付属の覚書の保障を歓迎した。米国政府はこれらの根本原則をさらに検討することが両国首脳の会見に対して補助となると思う。日本総理の申し出られた会合のこと及びその目的が大統領の非常なる関心を惹起し、また非常な関心を持つべく継続し、そうしてこれら根本的諸問題の交渉がさらに発展して、かかる会合ができることが大統領の熱心なる希望である。なお日本政府が米国政府と見解を同じうし、日米両国政府が両国間の関係の回復を図り、さらに進んで太平洋全地域にわたって正義、公平および秩序を以て永久平和の招来に貢献するということは、大統領の最も希望するところである。

状況具申

 10月3日、4日、政府に対し申し送った意見中に以下の事項がある。

 「日米交渉はついにデッド・ロックとなりたる観あるも、打開の道は必ずしも絶無でもなかろう。先方の覚書にも余地を残しているように思う。当国においては大統領の外交政策は漸次国民の圧倒的支持を受けつつあるように見受けられ、国内の戦時産業動員は著々進捗を見つつあり。欧州戦については一般に楽観的で、戦争長引くに伴って封鎖戦は前大戦と同じ効果を持つべしと思って、戦争の見通しについても都合よき観測をしているように認められる。この際独ソ単独講和でもできて、ドイツが東部の兵力を英国方面に十分転向するに至らば、英国の危機は増大するから、あるいは米国も多少心配するに至るべく、また米国はいよいよ大西洋戦に深入りするにおいてはその艦艇を失うことがあるからして、初めて戦争の危険を自覚し太平洋において若干温和となる見込みもなきにあらざるべし。「近衛メッセージ」は緊迫せる空気を一時緩和して、米国の一部に存する「まず以て日本と戦うべし」というがごとき気分を消滅せしめて目下の小康を保ちつつあるが、米国は寸毫も対日経済圧迫を緩めず、その既定政策に向かって進みつつあることは最も注意すべきことであって、今のまま対日経済戦を行いつつ武力戦を差し控えるにおいては、米国は戦わずして対日戦争目的を達成するものである。世界政局に大いなる変化ある場合及び日本が政策を変更する場合のほかは、その対日外交方針は不変なりと考える。しかし3懸案中2件は概ね解決せられあり。最も重要なるは駐兵問題なるが、これは支那の実情および混沌たる将来と関係し、若干年間は全部の撤兵は到底不可能なるべく、米国と何らかの妥協点を見出す要がある。まことに重大なる問題なるが、これ日米了解の根本と認めらるるゆえ、さらにご検討相成りたし。」

 「ご親任以来日夜のご努力はご心労拝察に余りあり。まことに感激いたすところなるが、事思う通り運ばず残念の至りである。昨日杜撰なる卑見を申し上げたが、これ国家非常の際、憂国の一念より出でたる次第、ご了察を請う。

さらに考えるに、日本が現在の共栄圏において自給自活するためには、よほど果断なる経済生活の立て直しが必要にして、それは実際非常の難問題かと思う。我が南進する場合、数年の後にはあるいは有利なる地歩を占めるに至る算もあろうが、支那事変中戦線拡大の不利を敢えてするのみならず、太平洋上英米と戦う決意を必要とし、この戦は長期と覚悟せざるべからざるを以て、極めて大問題なりと拝察する。この際あまり結論を急ぐことなく、利害得失御計量の上、徐々にご決断相成りたく切望に堪えず。」

 10月3日午後4時半、ハル長官を往訪して、日本船舶の入港問題及び石油購入に関し、南米にある資金使用のことについて申し出でた。

 10月9日午前9時、ハル長官を往訪。屡次の政府訓令の趣旨を体して長官の意向を確かめたところ、長官は、無差別主義は太平洋全地域に及ぶべきことを繰り返して、地理的近接云々も種々の意味に解せられると答えた。

 余より、支那の撤兵・駐兵に関し日本側の見る支那の政治、財政、軍事のことを詳細に語り、ある地点に駐兵の必要なるを述べて再考を促しておいた。また「首相の4原則賛成ということは主義上に止まる」と申したところ、長官は既に東京よりの電報により承知して居った。

状況具申

 10月10日、政府に向け次のような電報を打った。

 「貴電拝読。太平洋平和の維持については先方はもとよりこれを希望するが、日本の政策を以て半分平和、半分侵略主義と認め、9月6日の日本提案は従来の話し合いよりも一層絞り込んだものと認定し、これにては到底予備会談をまとめるを得ずとしている。なお、ご来示の3件以外にもその文句などについて多少訂正を必要とする点があるようである。先方の態度は10月2日の書き物のラインに沿うて、日本の譲歩を要求しおる次第にて、右譲歩がない限り首脳の会見は絶対に見込みなきものと観測する。

 要するに先方は従来の態度より少しも退却するところなく、10月2日の回答を固く守りつつ、これと一致する日本の提案はいつでも考慮するという出方である。」

10月14日ムーアよりの報告によれば、ハル長官はトーマス上院議員に対し「日米交渉は忍耐を以て継続するが、日本はこれを以て米国の弱点と誤認せざるを要す」と言った由。

 この頃キップリンガーによれば、ソ独休戦の噂には相当の根拠あり。また日米戦争は五分五分と見らるるとのことであった。

 10月14日午前11時、作戦部の要職にある某提督が来訪した。その会談を要約すれば、米国側の所望は確実なる約束をなすにあり。決して見せかけを望まず。もしも確実なる予備会談の成立なく両首脳の会見となり、その間にシベリア進出を見る様のことあらば、大統領は非常の苦境に陥ることとなる。太平洋平和と言いかつ日本が独自に決定すると言う以上、3国同盟の義務は概ね了解し得るように思わる。撤兵駐兵に関しては、撤兵は一時に行い得るものでないから、逐次撤兵の主義により日支間に細目を定めてしかるべきものと思う。しかし日本の国内問題としていろいろの困難を推察していた。この意見は国務省にも通じている様子であった。

 なお、提督によれば、仮にソ独戦一段落を告げ、ドイツが英国に対して平和攻勢を採ることありとしても、それはドイツの平和であるからこの際英国は応ずることなしと断言したが、これは米国海軍一般の所見と認められた。ただしこの頃案外早く平和実現の可能性を言う者もあったことは事実である。

ハリファックス英国大使との会談

 10月16日午後5時、余は英国大使ハリファックス卿を訪問し長時間会談した。

 余より「日米は太平洋の平和安定を欲する。英国もまた同様なることは閣下もかつて言われたことがある。米国政府は太平洋安定には支那事変の収拾を必要条件としている。太平洋安定と支那事変の収拾とは不可分と見ている。日米交渉に3つの難点があるが、そのうち2点は何とか解決の見込みあるも、一番困難なるは駐兵問題である。これが障害となりつつある。日本は4年の戦争の後、非併合、非賠償の方針を採り、支那の国情に鑑みて、ある地点に当分駐兵を必要としている。これは日本の最小限度の要求である。これさえ不可能だというならば、戦勝の間にまるで降伏の形となり国民の感情上到底容認し難きところである。日本は3国同盟を結んでいるが、これは一面国際環境上必然起こったものであると日本国民は説明されている。アングロサクソン諸国の圧迫もその1つの原因である。近頃は英米より経済圧迫が加わってきている。この環境にては日本は不本意ながら、経済生活のために活路を打開せざるべからざる運命に置かれているのである。英国も東アジアに大なる利害関係を持っていられるが、支那に対する日本の駐兵・撤兵問題は、英米と日本が武力によって解決すべき問題ではない。ゆえに何とか暫定的取り決めでも発見して戦乱の太平洋波及を止める名案はないか。米国人はややもすれば日本海軍は短時日にやっつけるなどと言っているが、日本海軍の伝統を見てもこれはとんでもない間違いである。日本国民の生活は粗食にも耐えるのである。しかしかかる戦争は無用と考えるからこれを防止しなければならぬと思う」というような話をしたところ、彼は極めて同感の態度を示し「ご同意ならばハル長官とも十分懇談してみたい」と言って非常に乗り気であったが、その後彼に会ったときには、ハル長官より抑えられたものか「英国は太平洋紛糾を望まない。米国もまた然りと認められるので、日本はどうか忍耐を以て臨まれんことを希望する」とて、チャーチル演説にあった通り、英国は米国に只管追随する程度のものと見られた。

10月18日、東條内閣成立の報に接す。

プラット大将との会談

 10月25日、ニューヨークに赴きプラット大将と会談した。大将は日本が支那事変に止まることなくさらに南進または北進する場合の結果を心配して居ったが、最後の希望は陛下と大統領にあると申した。大将は雑誌の寄稿においてもラジオ放送においても、日本の感情に注意を加えていると言った。また同大将は、遣露代表ハリマンは有為の大人物であるが、スターリンは単独講和をなし得ない立場にあり、ヒトラーまたソ連とは講和することは不可能なりと見ていると言った。同大将によれば、戦局は要するに長引く、その間に一方はより以上疲れる、大西洋の戦において英国は大丈夫であると全局にわたって楽観して居った。日本に対しては海上武力を保全してこそ平和会議に臨んで充分なる発言をなし得る、これを減少するがごときは不利であると申した。

状況具申

 10月29日の発電中に以下の事項がある。

「ニューヨーク・タイムズ」によれば、ハル長官は議会に臨んで、「米国政府の見るところにては3国条約は米国を脅迫し、米国をして英国を援助し得ざらしめ、かつ大西洋の制海権を失うに至るまで自衛権を行使せしめ得ざるごとく米国の海岸に退却せしむるにあり。米国政府は平和を欲するも平和は力を示すことによって一層確保せられる見込みが多い。枢軸諸国は吾人があまりに譲歩を示しまた弱味を表すならば、ますます自己の方針に向かって急速度を以て進む。東京の形勢はソ独戦の進行によってその温度が昇降する兆候がある。全局面は極めて機微にして変化多し」と述べた。

 長官はかつて余に対し、日米両国国民は自尊心強き国民であるから、双方ともブラフ(=脅迫)によって動かされる国民ではないと言ったこともある。

 11月4日、米国の情勢について発電した中に以下のごとき言がある。

当国は別に危険の切迫を感ずるなく、国民一般は外見上極めて呑気にて、戦争よりも物価の漸騰と増税、インフレーションなど、生活問題に関心多く、政府当局も結局英国流のごとくなるべく他国をして戦わしめ、自国はやむを得ざれば最後の大詰めに至り、初めて登場し快勝を獲得せんとするの肚らしく、長期の戦争厭わずとの態度である。ソ連を援助しつつあるも、これはソ連利用に止まり、別に共産露国を好む次第ではない。

 日本に対する経済断交は挙国一致の支持を受けつつある。太平洋所在の兵力は戦争の危険に対し国防を全うするに足り。南西太平洋方面においても英、米、蘭の兵力は漸次充実し、さほど心配するに及ばずとの肚らしく思われる。日本の対米強硬態度に対しても一向に恐れるところなく、いつまでも既定政策に向かって進む態度を示している。

 軍事当局者に至ってはもとより以上のごとく楽観に一貫する次第には非ず。太平洋戦の困難なることは百も承知しおるものと判断される。

 

ハル国務長官との会談

 11月7日午前9時、ハル長官と会見した。

余より「政府の訓令により大統領及び貴長官へ日本の意向と立場を説明し、日米関係を急速妥結したき」旨を告げたところ、長官は「現在世界の情勢は2つの勢力が戦っており、速やかには成敗決し得ないから、漸次無秩序の混乱状態に陥る恐れあるに際し、日米両国が太平洋において同じく平和政策を採るならば、この混乱状態を救い得べし」と述べた。

 さらに余より「政府訓令の趣旨にもとづいて、3懸案中2案は既に大体了解し得べく、駐兵・撤兵はこれ日本の内政上許す限りの最大限の譲歩である。米国政府は日米親善の大局的見地より現実の情勢を達観せられて、速やかに妥結に至らんことを希望す。日本政府は本使より大統領および国務長官に十分に日本の決意と日本の立場を説明して、至急解決を計るべき旨の命令を与えた。日本の国情は6ヶ月の交渉の後しびれを切らし、事態重大であるから本交渉の速やかなる成立を熱望する次第である。また時局の重大なるに鑑み東京においても並行的に話し合いをなすはずである。我が方においては最大の友誼的精神、互譲の誠意を披歴するものである」と説明した上、我が対案を提出し米側が大局的見地から同意することを求めたところ、長官は熟読の上、無差別待遇原則の項については首肯し「これ日本のためにも有利なり」と漏らし、撤兵・駐兵については、単に「撤兵と駐兵とがいかなる割合なりや」と質問しただけで、余より「大部分撤兵で、駐兵は一部分となるべし」と説明し、また自衛権についてもその日接受した訓令により縷々説明したが、長官はいずれも研究の上回答すると申した。

ハル長官は「従来お話しせる通り、太平洋平和維持には英、蘭、支那などの関係国とも協議の必要がある。支那問題については支那とも打ち合わせした」旨漏らし、長官自身の思いつきとして「もし支那の最高権威者が日本政府および国民に対し、支那の誠実なる友誼と信任を確言し、日支間の友好関係の回復を希望するにおいては、日本はいかに考えるや」と質問したのに対し、同伴の若杉公使より「これは支那側の意向を確かめたる上のお話なりや」と反問したところ、長官は「これは全く自分1個の考えであるが、もしかかることが行われれば好個の例であって、世界に対し好影響もあろう」と申したが、あるいはこれは支那側の意向を徴した結果とも察せられる。上記については余において考慮すべき旨答えておいた。

状況具申

 11月10日の発電中に以下の事項がある。

「ムーアをしてトーマス上院議員に接触せしめたところ、その情報によれば、米国はブラフするのではない。日本がさらに侵略をなすならば日本と戦うべし。米国国民は精神的に準備成り、海軍は準備が成ったとのことであった。」

 9月28日スターク大将と会談のときには、大将は「米国は進んで日本を攻撃することなし」と言ったが、11月9日某閣僚と懇談のとき「米国は進んで発動することなきも、日本が発動する以上従来の行きがかりもあり国の面目上発動すべし」と言った。

ルーズベルト大統領との第7次会見

前後の事情

大統領との会見前夜、すなわち11月9日夜。某氏を往訪したところ、左右を遠ざけて極めて真面目なる態度を以て「神に誓って君限りに申すが、ボスも国務長官も、すでに日本が発動する政策を決定している旨の確報を握っており、明10日の大統領と貴大使との会見も形式的のものなるべく、来栖大使の来米のごときも何等の望みを懸け得ない」旨の話をした。おそらくこの話は前日8日の閣議の内容を語ったものらしく思われた。

 余よりその然らざる所以を話し、日本は経済圧迫のためしびれを切らし、急速妥結を熱望しつつあるも、日米了解の誠意に至っては決して変わらぬと懇々と話したが、某氏は「大統領も国務長官も君に対する信用は不動であるが、東京の形勢についてはこの情報を信じている」旨話した。

 当時の新聞雑誌の論評において、デイリー・ニューズ、ハースト系新聞を除きその他は、日米戦は米独戦よりは遥かに人気あり、英国人中にはこの人気を利用せんとする者があるらしく、英米の軍事協調についてはすでに下相談成立しているなどと報じた。英艦隊一部のシンガポール進駐の必要を説くものもあり、大統領もまた国内政治の上よりこの方向に動くやも知らずと報ぜられた。

会見の模様

11月10日午前11時、大統領と1時間会見。余は準備せる覚書により日本のいわゆる「最後案」を読み上げたところ、大統領は「全世界は今や侵略の勢力による禍乱のため危殆に瀕している。自分は衷心より世界が平和の常道に復帰せんことを切望し、また自分はフェア・プレーの精神により太平洋全域の平和安定の確立に寄与せんがため最善の努力をなそうと思う。これによって人類の福祉に実際的効果を与えなければならぬ。予備的会談が交渉の基礎となる良果を挙げんことを希望し、本会談の促進には自分も努力する。日本が平和の進路を採り、その反対の方針に出でざる意向を明らかにせんことを希望する。これ日米両国の欲求する結果に達する道であると思う。米国は戦争の拡大を防止して、恒久的平和を確立せんことを希望するものである。世界一般に通商無差別主義の行われんことを望む。これはドイツがヨーロッパにおいて採っている政策と違っている。米国政府の採った過去の強圧主義が縷々失敗したのに鑑みて、自分は善隣政策をとり、爾来米州諸国との関係は改善された」旨を述べ、新事態に応ずる新政策の必要を説いた。余より経済圧迫が日本国民を我慢できない状態にならしめた点を指摘したところ、生きるためにはいわゆる一時的妥協を要することもありとて、同用語の注釈をなした。

 別れに臨んで余は「大使として為し得るところにも限りがあるが、余は現代及び後世の日本国民に対する責任を痛感している。余は最後の大使たることを欲しない」と言ったところ、大統領は非常に傾聴し、ハル長官も同様の態度を示した。

当時の米国国情

 米国は一面欧州戦争、他面太平洋問題に直面しているが、いまだ軍事的にかなりの弱点があるので交渉の進展に伴い、日本に対し多少協調的に転向することもあらんとも余は考えていたが、予期に反しそれまでのところ米国は終始一貫自国の政策を固守し、なんら妥協性を認めがたい。これ畢竟支那にあまり深入りし、支那の主権に何らかの累を及ぼすがごとき条件を受け入れない立場に進入するためと思われる。ゆえに支那問題は太平洋安定の障害となり、日米交渉の眼目となる次第である。米国においては、日本にはデモクラシーと切断しアジアにおいて独往邁進せんとする急進論者と、他方欧州の形勢が今一層明瞭となるまで米国との宥和を継続すべしという遷延論者ありと見ており、うまく行っても日米交渉は要するに「ミュンヘン会談」の二の舞に止まり、多くを期待し難しと認め、ますます硬くなり、宥和または妥協の意向漸減しつつあるがごとく認められた。

 上の次第ゆえ、余限りにて支那問題に深く触れることなくして極東の暫定的取り決めをも考え、国務長官に話してみたことがあったが、長官は支那問題を以て太平洋安定と不可分なりと強く主張した。

 また英大使ハリファックスも平和維持を最も希望していたが、米国政府のなすに任せ何ら働きかけるところがなかった様子に見られた。

 余としては着任以来、事志と違い局面が9分通り行き詰まれるゆえ、なし得れば新しき人にて局面打開の必要を痛感していた。あたかも来栖大使が結城書記官を伴い来米。もっともこのことは既に8月4日、時局誠に緊迫せる故、此の際違算あっては申し訳なしと考え、内外の事情に通じている外務省の先輩(たとえば来栖大使)を一時出張せしめられるよう電請した次第もあり。余としては本望の至りで、来栖、結城両氏の献身的犠牲心に対し深く敬意を表する次第である。しかし米国新聞、雑誌などにあっては、来栖大使が来るも成功のチャンスは1対10と見られつつあったのである。

ハル国務長官との会談

 11月12日午後3時、国務長官を往訪、1時間半会談した。長官は「8月28日の覚書は新内閣もこれを確認するや否や」を問い、前回会談の際言及した日支和平に関する提案を説明する「覚書」をも手交した。続いて長官は「3問題に対する日本の提案は、米国側においても時局の緊迫を認めて至急審議しつつあるが、10年にわたる諸問題を一夜で片づけることは困難である。明後日中には何とか答え得る」との返事であった。

 次いで余より、日支和平に関する提案と日米交渉妥結との関係を質し、「日支間の合意が成立せざる場合日米交渉もまたまとまらない趣旨ならば、結局支那が日米関係のカギを握ることとなろう」と質問したが、長官は一般原則の支那に対する適用を云々して直答を避けた。

 長官は、英、蘭に対しては大体の話をしてある旨を語って、交渉の基礎が成立すれば米国と同時に調印の可能を信ずる旨語った。その際同席のバレンタイン参事官は、6月21日案にもある通り、米国の主張する原則と相反する条件を以て他国に対して関与することはできない旨語った。

 余より、駐兵に関しては無期限駐兵に非ざる旨を明らかにしたのに対して、長官は「他国の内政に干渉せざる方針により、無期限の駐兵は困る」と言った。

 なお、長官は「3国同盟条約に対しては一方平和的なりという説もあるが、他方日本とドイツとは不可分関係にありとの説もあって、自分は政治家などに十分なる説明をなし難い」と言い、また「ヒトラーも長く続き得るものでないから、米国としてはポストウォー・プログラムも立てなければならず、随って日米が平和的プログラムによりリーダーとして協力するにおいては、これに英・蘭を協力せしめて、全太平洋の一般的平和に対する合意が成立するに至るべく、この場合日本は3国同盟に止まる必要もなかるべし」と言ったので、日英同盟を引例して、3国同盟と平和プランの両立を強く説明しておいた。また石油その他の原料を米国、蘭印などから日本が入手することができれば、ここに日本も必ずしも武力を用いる必要がなくなる。あえて日本は武力行使を好むものではないということも話しておいた。

意見具申

 11月13日、上記要旨にて日本の自重方につき打電した。

本電貴大臣限りのお含みまでに申し進ず。

 日米交渉については必勝を確信し最後の最後まで奮闘いたすべく、その上人事を尽くして天命を待つの心境なり。しかるに現下の情勢以下の通り観測す。

1.すでに累次報告の通り、米国政府の太平洋政策は日本のこれ以上の南進北進を阻止するにあり。しかして経済圧迫を以てその目的を達成せんとするも、戦争に対する準備は着々進めおれり。

2.すなわち日本が南進または北進する場合に対し、作戦その他万般の準備をなし関係国とは極力協力し、米国の信条たる政治的根本原則を譲り妥協するくらいならば、むしろ戦争を辞せざる覚悟にして、今のところ失敗の刻印を押されたる数年前のミュンヘン会談のごときことを繰り返す意思ありとは思われず。殊に最近はドイツ全盛の峠も見えたりと認め、ソ連の戦意は今なお厳存し、単独講和の危険も薄らぎたるに気をよくしある今日、一層然るものあるべしと思料せる。

3.支那に対しては逐日いよいよ与国関係となり、事情許す限り援助をなしつつあり。太平洋安定のために支那の主権に累を及ぼすがごとき条件を、承認し得ざる立場にありと認められる。ゆえに支那問題が太平洋安定の障害物となり、そのためには日米国交の調節もまた不可能となり得る次第なり。

4.枢軸関係は日本政府次第により、あるいは極めて緊密一体となり、あるいは然らざることもあり。しかしながら要するに形勢如何によりては、直に背後より米国を刺す姿勢にあるものと認めおり、新聞は漸次枢軸との緊密化甚だしきは一体化を認める様の書きぶりなり。

5.我が自存自活のため南進を敢行する場合には、当然の結論として対英米蘭の戦となりかつソ連も参加するに至るの算多きものと認められる。また中米はもちろん南米諸国も米側に有利なる中立を保つに至るべし。

6.この戦争は長期となることは必然の勢いにして、一局部の成敗はさほど大問題にあらず、最後まで踏ん張り得たるものが勝者たることも略々予想するに難からず。

7.米国は一歩一歩大西洋に深入りしつつあるがごときも、当該方面は要するに輸送船団に関連する作戦に止まり、今日の形勢にては何時にても主力を太平洋に集中し得べし。英国もまた独伊海軍の現状に照らし相当の勢力をインド洋方面に差し向け得るに相違なく、本使は元来米国が大西洋に忙殺せらるるに至らば、太平洋において多少妥協気分になるべしと予期したりしが、その気分は今のところ少しも現れざる次第なり。むしろ米国政府は国内問題よりして対独戦に対しては若干の異論あるに反し、今日にては太平洋戦に世論の反対少なきを見てこの方面より参戦することも十分あり得べしと見込みおくを要す。

8.我が国現下の国情を詳知せざるも、累次の貴電により形勢の急迫を知り国民また堪忍袋の緒を切りつつある趣を承知するにかかわらず、かかることを申し上げるはいささか乱暴の誹りを免れざるも、本使は国情許すならば、1、2カ月の遅速を争うよりも、今少し世界戦の全局において前途の見通し判明するまで辛抱すること得策なりと愚考す。

 11月15日午前9時、ハル長官を往訪。先方より通商無差別に関する提案があり。余より本交渉はもはや交渉の段階に達しある旨を主張したのに対し、長官は「本件妥結のためには英、蘭とも交渉の必要がある。その点は日本も希望せられる通りである。彼らと交渉に入らざる前に、日米間のみ交渉するということでは具合が悪い」と申し、余よりの催促に対しては威圧的だと言って、頗る不機嫌であった。

 3国同盟について長官は「日本は一方日米間に平和的協定を試みつつ、他方ドイツとの間の軍事同盟を強調する関係上、貴大使の説明は理解するにしても、米国民衆および世界に対しこの矛盾を説明することは困難である。よって米国政府としては新内閣の平和政策に対する意向を確かめて、すなわち前回申した日本政府の声明に対する確認及び6月21日の米国案における太平洋全地域にわたる政治的安定――日本はこれを南西太平洋に限定せんとするもの――に関する意向を確認し、本日提案の返答を得た上、他の2問題に対する回答をすべし」と答えた。

 また長官は「日ソ中立条約が成立しても、国境には依然大兵が対立しているというがごとき状況を欲しない。日米了解成立の上は、3国同盟条約は死文とならんことを欲するものである」と述べた。

 余よりは再び、3国同盟と日米平和の両立を強く説明しておいた。余は「本日の会談にては東京は失望するならん」と述べたが、長官はなお交渉の余地あるがごとき言い振りを以て返答した。

 

 11月17日、来栖大使とともにハル長官を往訪。続いて大統領を訪問した。この日長官に近衛内閣声明の確認および南西太平洋に拡大の2件に関する覚書を手交しておいた。

ルーズベルト大統領との第8次会見

 11月17日午前10時半、来栖大使を同伴。ハル長官を往訪。ついで長官の案内により午前11時大統領をホワイト・ハウスに訪問した。

 大統領は「ブライアンが言った通り、友人間には最後の言葉なるものがない。多くの不可侵条約は時代遅れとなったが、日米間に一般的なる了解を作ることによって事態を救い得るものと思う。支那問題において撤兵の困難なることは聞き及んでいるが、米国は日支問題に干渉も調停もする次第ではない。外交的の言葉は知らぬが、単に紹介者とならんとするのみである」と語った。これに対し来栖大使より「太平洋に関して大なる了解ができれば3国同盟以上の国力を発揮し、3国同盟の適用に関する疑念は自ら氷解するがごとき事態となるべし」と説明した。

 同席の国務長官は、英国が攻略せられその艦隊が敵手に入り、南米あたりまでやってくるような危険に対して自衛する必要を云々した。

 最後に大統領は「貴大使においてハル長官と話し合いをされた上、さらにご希望あらば何時にても会見すべし」と言った。

ハル国務長官との会談

 11月18日午前10時、ハル長官を往訪(来栖大使同行)、3時間会談した。長官は「米国の国策たる平和政策とヒトラーの征服政策とは相容れない。日本が3国同盟によりヒトラーと結びおる限り、日米国交の調整は困難である。今仮に日米間に妥結が成るも、米国民をして、ドイツは欧州において征服をやり、日本もまた東亜において同様のことを行うものなりとの考えを拭わしむることは不可能である。あるいは米国は日本を通じてヒトラー主義に組するに至ったと見る者もあるであろう。日米間に妥結がなるも、現在の日ソ関係のごとき有様にては何の役にも立たぬ」と言った。来栖大使より3国同盟は武力的膨張を行うを趣旨とするものに非ざることを説いたのに対し、長官はそれを現実に実行する必要があることを述べた。

 形勢が行き詰ったから、余より南西太平洋の危険を詳しく述べて「とりあえず凍結前の事態に復帰してはどうか」と言ったところ、種々反駁した後、考慮を約した。

意見具申

 11月19日の発電中には下記の意味のことがあった。

「日米関係いよいよ緊迫十字路に来たれり。救国済民の大責任を負う廟堂諸公の御心痛拝察に余りあり。今や帝国の採るべき道は、1.現状を維持すること、2.局面打開のため武力進出すること、3.何とか工夫の上相互不可侵の態勢を作ること。1.は彼我軍備を増強し結局武力衝突に陥るべく、2.に比し、多少時間の相違あるのみなるべし。3.は何とか暫定的取り決めにより一時局面を弥縫し、同時に百方工夫の上、平和の間に我が目的を達成せんとするにあり。昨往電はまさにそのつもりなり。政府においてご不満の程は拝察するが、満州事変に引き続き支那事変は既に4年を超え国力疲弊したるとき、長期の大戦争を敢えてするは時期を得たるものに非ず。この際ギブアンドテイクを以て和平を策するは、さらに他日雄飛の前提なりと思考す。以上の点について首相にご伝達を請う。

 11月20日正午、来栖大使とともに国務長官を往訪。1時間半会談した。日本の暫定案(乙案と称す)を提出し、各項につき来栖大使より説明したのに対し、長官は他の部分についてはさしたる質問もしなかったが、日支全面和平の努力を妨げるがごとき行為をなさざるを約すとの項につき、大なる難色を示し、3国同盟に対する従来の主張を繰り返し、米国としてはドイツの征服に対し援英をなし、また日本の政策が当然平和政策とならざる限り、援蒋はあたかも援英と同一であると申して「援蒋打ち切りは困難なり」と言い、なお「今日の事態となるまでには、在支米国権益の被害もある次第である」と申した。来栖大使より「大統領が紹介者たらんと言われた以上、援蒋打ち切りは当然のことならん」と言ったところ、長官は「それは日本の政策が平和的なるを前提として大統領が申したのである」と言った。余より「本日の提案は従来、2,3の点において何ら進捗を見ないところがあり、しかるに形勢急迫を告ぐる折柄なるを以て、日米間殊に南西太平洋方面において緊迫せる状勢を緩和し、幾分なりとも友好的空気を回復せんがため急速妥結を図った上、さらに会談を進捗せしめんとする趣旨である」と説明したところ、長官は「ご趣旨は了解するも前申した困難がある。自分も貴大使も日米両国民に対し、また全人類に対し大なる責任を有するものである」とて沈痛なる面持を示し、「ご提案は十分同情的に検討する」と申した。

 

 11月22日午後8時、来栖大使とともにハル長官を私邸に往訪、3時間会談した。長官は「日本が平和政策に出づる以上、米国政府は日米貿易を漸次復活する。また関係国をして協力せしめる。それらの点は今日各国の代表者と十分打ち合わせ協議をしたが、月曜日までに彼らは本国と打ち合わせた上さらに協議する次第である。自分の力に限りあり。それ以上のことは不可能である」と申した。また東京の催促が急なることは認めておったが、「数日間待たれぬ理由はあるまい」と言い、さらに「今直ちに日支の橋渡しをなす意向はない。援蒋打ち切りは困難である」と表明した。ただし今日と言えども援蒋は大したものではない。日本の平和政策の進展次第で上記の件々は調節し得らるべきやの態度を示した。

 仏印南部から北部への兵力の移駐については、これは南西太平洋の形勢緩和に功なく、関係諸国は皆これに牽制せられて、兵力が凍結せられること今日とあまり異ならざるよう申したから、余は「自分の軍事観よりすれば、これ極めて大なる譲歩であって、当方面の平和に至大の貢献をする」と説明したところ、長官は、会談の内容は自分のみに止まり、他の何人をも関与せしめておらぬから軍事上のことはよくわからぬと言わんばかりの態度であった。

 余は乙案により逐条諾否を質さんとしたところ、長官は乙案を以て対米要求と感ずるもののごとく極めて不機嫌で「要求せられる理由はない。自分があくまで努力しつつあるにかかわらず、遮二無二当方の諾否を迫らるるに対しては失望する」旨を述べた。

 余らは終始沈着冷静を旨として折衝にあたり、決して激するようなことは前後を通じて1回もなかった。長官の態度もまた沈着冷静であった。

 11月25日、某閣僚を訪問。乙案通過の困難なるを予感した。

意見具申

 11月26日、政府に対し以下のごとき発電をした。

 「この際唯一の打開策として、大統領より太平洋平和維持を目的とする両国協力の希望を発電せしめ、これに対しご親電を仰ぎ奉り、以て空気を一新し、今少し時間の余裕を得、英米側が蘭印保護占領の可能性をも考慮し、我より仏印、蘭印、タイを包含する中立国設定を提議することしかるべきかと思料す。交渉の決裂は必ずしも日米開戦とならざるやにも観測せらるるが、英米の蘭印進駐も予想せられ、結局我が方の攻撃による対英米国衝突となるべく、以上に対しドイツは条約義務の発動を肯ずるや疑問なり。かつ日支事変も長引くこととなる。

 11月26日午後5時、国務長官を往訪。長官より書類3通(文書31、余の私訳)を受け取った。

 長官は「20日ご提案の乙案については、45日間審議を尽くしたが遺憾ながらご同意申し上げ難い。これについては関係国とも協議した。ただいまお渡しした米国案は、6月21日の米国案と9月25日の日本案とを併合した一案である。自分としては支那を見殺しにするなかれとの世論や日本側要人の非平和的弁論などに鑑みて、本日の案を提出するのやむなきに至った次第である。無差別主義を支那に直ちに適用せよというのではない。これは原則論である」と言った。

 来栖大使より、日本としては9ヵ国機構復活に反対なる旨申した点に対しては、長官は何等反駁をなさなかった。余と応酬の間長官は「撤兵は即時撤兵を主張するのではない」と言い、日本政府は南京政府を見殺しにできないではないかという主張に対しては、長官は「南京政府は到底支那統治の能力がない」と申した。

 来栖大使より、3国同盟に関しできるだけ譲歩を迫られる一方、支那問題において重慶に謝罪せよと言わんばかりの絶対不可能なる条項を含んでいる本案を、このまま本国政府に伝達すべきものなりや否やについても疑問があると申し、最後に余より「米国としては本案のほか考慮の余地はないのか。過日大統領は、友人間には最後の言葉というものはないと言われた次第もあるから、大統領との会見方お取扱いありたし」と申し出たところ、これは要するに一案であって大統領との会見は承諾せる旨答えた。

 要するに大統領は晴れやかな性格で、応酬は何ら停滞するところなく、ハル長官は村夫子(そんぷうし=田舎の学者)的で、確実なる質である。しかし両者とも全く同一の軌道を進み、米国の信条とする対外政策の諸原則に膠着し、一歩もその埒外に出ることなくギブアンドテイクは少しもなかった。

 ハル長官は初めの間多少融通性もあったが、話が漸次進み、その属僚に諮るに至って全く硬化してしまった。両者とも非常に世論を顧慮する。これがしかしデモクラシーの正体であろう。

 ハル長官はあるとき「貴使が言うがごとくすれば自分はリンチされる」と言ったから、余は「救世のためには身を殺して仁をなす殉教者もある」と応酬したこともある。しかしまたハル長官は「ホワイトハウスにおいて貴使と自分とは共通の目的に向かって協力するのだ」と言ったこともあった。

その1 オーラル 極秘

 米国政府及び日本政府の代表者は過去数ヶ月間非公式会談を行い、太平洋全域の平和に関しでき得れば合意に到達せんとしたり。平和の原則には各国領土主権の不可侵、他国の内政不干渉、平等主義(その中に商業上の平等を含む)及び国際紛争の予防と平和的解決、並びに平和手段により国際関係改善のため国際協力および和解の諸原則を包括す。

 会談中、太平洋全域の平和的合意の基礎をなす諸原則に関し、若干の進捗を見たり。

 最近日本大使は、日本政府は太平洋地域の全般的平和的合意を目的とし、会談の継続を希望し、もし一時暫定協約ができれば会談の成功に好都合なる空気を生ずべきを述べたり。しかして11月20日概案を提出せられたり。

 米国政府は太平洋全域の平和及び安定に貢献することと、それがため日本政府と会談の機会を提供することを熱望す。日本大使の提案は、米国政府の所見にては目下考慮中の基本的原則と衝突する点あり。米国政府はこの提案の採用は最終目的に貢献し得ざるべしと信ず。米国政府は、基本的原則の実際適用に関する意見の相違を解決するがために、さらに努力することを提議す。

 米国政府は太平洋全域に渡る一般的なしかし簡単な合意の1案を、将来会談の間に解決すべきプログラムの一実例として、日本政府の考慮に供す。

 この提案は6月21日の米国案と9月25日の日本案との隔たりをつなぎ合わせる1つの試みにして、我々が同意したる基本的原則の実際適用を包含す。我々はかくのごとくして両国政府の合意に到達すべく進捗を速やかならしむることを希望す。

その2 両国宣言案

 米国政府及び日本政府は太平洋の平和を熱望し、その政策は太平洋全域の恒久的平和に向けられ、領土的企図なく他国を脅威するの意なく、また隣国に対し攻勢的に兵力を用うるの意なきことを確言し、従って次の基本的原則を支持し実際適用をなすべきことを確言す。

各国領土、主権の不可侵。

他国の内政に不干渉。

平等主義、商業上の機会および待遇の平等を含む。

国際紛議の予防および平和的解決のため、並びに平和的手段による国際関係改善のため、国際的協力および和解によるの原則。

日本政府および米国政府は、慢性的政治の不安定を除去し、繰り返される経済の破滅を防止し、しかして平和の基礎を作るために、次の諸原則を相互および他国との経済関係においてこれを支持し適用するに一致せり。

国際通商関係における無差別。

国際的経済協力、極端なる貿易制限のごとき極端なる国家主義の破棄。

各国皆原料を無差別に獲得し得ること。

国際的物資協定の運用に関し消費国の利益の十分なる保護。

国際財団を設け、あらゆる国の企業とその国の発達を援け、貿易によりその支払いをなさしむること。

その3 米国政府及び日本政府は次の手段を採らんとす。

米国政府及び日本政府は、英帝国、支那、日本、蘭、ソ連、タイおよび米国の間に、多辺的不侵略協定を作成するに努力す。

両国政府は、米、英、支那、日本、蘭おおびタイの間に1つの協定を作るに努力し、それにより仏印の領土保全を尊重し、その危険あるときは互いに協議す。

日本政府は、支那および仏印よりすべての陸軍、海軍、空軍および警察力を撤退す。

米国政府及び日本政府は、重慶にある国民政府以外のものを軍事的、政治的、経済的に支持せず。

両国政府は、支那におけるあらゆる治外法権を廃棄す。その中には居留地に関する権益および團匪事件協定内の権利をも含む。

米国政府及び日本政府は、互恵最恵国待遇を基礎とし、両国間の貿易障害を軽減する方針の下に、通商協定の会談を開始す。その中には米国は絹をフリー・リストに入れることの約束を含む。

米国政府および日本政府は、それぞれ凍結令を解除す。

両国政府は、ドル・円比率安定の計画に同意し、それに必要なる資金は半分あて出資す。

両国政府はいずれも、第3国と結びたる協定は、本協定の基本的意図たる太平洋地域を通じての平和の設定及び維持と衝突するがごとく解釈さるることなきに同意す。

両国政府は、他の政府をして本協定の基本的政治上及び経済上の諸原則に同意しこれを実際に適用するごとく勧誘するところあるべし。